秀、医者を呼ぶ 3







「・・・そうかい」
 居住区にあたる裏店のほうに引っ込んだ三人は、すでに火を入れていない火鉢を囲み、小声で話をしていた。
 秀の説明がひととおり終わり、しばしそれぞれの思いに沈んだ後、勇次が物憂げな声を出した。
「オレはやってもいいぜ」
 畳の縁を眺めていた秀はすばやく勇次に目を戻し、ふたりの視線が絡んだ。
「おっかさんはどうする?」
 倅が秀に2、3質問するあいだにも一言も発せず耳を傾けていたおりくを顧みて、勇次が尋ねる。
「・・・あたしは」
「?」
 てっきり即答するかと思っていたので、秀も勇次もやや肩すかしをくらった。
「なんだえ、おっかさん?」
「いゃ、なんでもない」
「・・・気に入らねぇなら、ムリするこたぁねぇぜ」
 秀がぼそりと言う。おりくは怪訝そうな倅の白皙の顔と上目遣いにこちらを伺う秀の顔とを見回して、 苦笑して軽く片手を振った。
「気に入らないってことはないよ。・・・おつとめは選ぶものじゃぁないからね」
「・・・」
「・・・」
 低く端唄を呻るような呟きの持つ凄みに、若い二人の背筋に冷たいものが奔る。
「やっぱりお茶、淹れてこよう。秀さん、あんたも飲んでおゆき」
「オレが」
 腰を上げかける勇次を目で制し、
「いいから勇さんは、お客さんと話しておいでな」
けっして急いではいないのに流れる身ごなしで勝手へと消えた。

 残された二人はなんとなく居心地悪い思いで、火の気のない火鉢ごしに互いに目を逸らし合っていた。
「・・・客じゃあねぇよ俺ぁ」
 秀が腰を上げようとするが、
「なんだっていいじゃねぇか。ちょうど旨い餅菓子を貰ってたんだ」
 いち早く気を取り直した勇次が、秀を引き留めるように手をのばす。 触れはしなかったが、そんな真似が自然に出たことに勇次は内心驚き、秀もまた困ったような顔を隠せずにいた。
 前回ふたりが会ったのは、例の振り売り少年の件で、後日談を秀が聞きに立ち寄ったとき。 その帰り際、秀は勇次に女への簪を頼まれてしまったのだが、日頃の忙しさにかまけてすっかりそのことを忘れてしまっていた。
 仕事の話をするあいだもまるで思い出さずにいたが、こうして手持ちぶさたに顔を見合わせてはじめて、秀はそれを思い出した。
「簪、悪ぃがまだ手を付けていねぇんだ」
「簪?・・・・・」
 勇次は意外なほどの無防備さで、きょとんとした顔で秀を見た。
「なんでぇ、頼んできたのはおめぇじゃねぇか!」
 ムキになられてはじめてハタと気づいたのか、気まずい笑いを浮かべて弁解する。
「すまねぇ、仕事のこと考えてうっかりしてたぜ。簪、な」
「すでに要らねぇってんなら、ホゴにしたっていいんだぜ。次の意匠は梅に鶯か?」
 秀が皮肉った。この男のことだ。変わり種の女にちょいと気をかけてみたが、 簪を渡すまえに他の花に目移りしたということだろう。 竜胆に燕というやや色気に欠けるが、野趣があり颯爽とした品も感じられる意匠を、秀がおもしろいと思ったことは黙っていた。
「待てよ秀、オレだってけっして忘れてたわけじゃぁねぇのさ」
 秀、とまた名前で呼ばれ、秀は青みがかった艶のある瞳でこっちを見つめる勇次から、思わず目を逸らした。
「おめぇにムリを言っちまったんじゃねぇかとね」
「・・・んなこたぁおめぇに気にしてもらう筋合いはねぇ。俺は職人だぜ」
 そっぽ向いたままの秀が無愛想に言う。
「そうだよな。おめぇが造ってもいいってんなら、オレはいつまでだって待つぜ」
「そんな大げさなもんでもねぇだろ・・・」
 真顔の勇次になぜか動悸が速まるのを覚えつつ、秀は珍しく口ごもる。
「いや。オレにとっては大事な依頼だ。・・・受けてくれるよな?秀―――」
「わかったわかった!やるよ!やりゃいいんだろ」
 秀の呆れた声に勇次がにやりとする。
「上物の銀が入ったときに造ってやる。そのかわり、礼はたっぷりとはずんでもらうぜ」
「こういうやつだ。お手柔らかに頼むよ―――」
 言いながら勇次はふと、おりくの消えた勝手のほうを振り向いた。
「どうした?」
「いや。なにか物音が・・・」
 秀も、おりくが戻ってくるのがやけに遅いと思っていたのだ。勇次との会話につい釣り込まれてしまったが。
「おっかさん?」
 勇次が柔らかい声をかける。
「なにか手伝おうか?」
 応えはない。二人は顔を見合わせ、サッと立ち上がった勇次が奥へと入っていった。
「!!おっかさん!?」
初めて聞く勇次の大声に、秀は弾かれたようにあとを追った。
「いってぇどうし・・・」
「おっかさん!!おっかさん!!」
 踏み込んだ秀は息を呑んだ。 土間に倒れ込んでいたおりくを見つけた勇次が、母親を両腕に抱き起こし、 懸命に体を揺さぶっては声をかけているところだった。おりくは昏倒したまま、まるで反応しない。
「しゃ・・・。ゅ、勇次?」
「おふくろ、しっかりしてくれ!!!」
「おい!おい勇次!!」
 秀が思い切り肩を掴むと、血の気のないおりくの顔と同じくらい青ざめた勇次の顔が、呆然と秀を見上げた。
「どうした、勇次」
「わからねぇ。オレが行ってみたらもう・・・」
 掠れた声で呟き、視線を呆然と腕のなかのおりくに戻す。
「・・・起きてくれよ・・・たのむ・・・・・」
 これほどまでに取り乱した勇次を見たのは初めてだった。 がくりと落ち込んだ広い背中を睨みつけると、秀は起ちあがり素早く踵をかえす。 草履に指を突っ込む間もそこそこに、三味線屋を弾丸のように飛び出していった。




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