Secret Garden 7 どこからか入り込む風が燭台の焔をかすかに揺らすと、天井や周囲の壁に転写された歪な陰影が幻惑を誘う。 仄暗い灯りのもとさらけ出された光景の猥らがましさは、 建屋に入るまでは身近であった日常から、一変して異質な世界に足を踏み入れたことを肌で感じさせた。 秀はキツネの手で、ひとのあぶら汗を吸って黒光りする縄を打たれ緋色の布団のうえに転がされていた。 勇次はスッと襖を開けて入り背面で閉じると、その酷いとも見える姿を立ちすくんだまま見下ろした。 目隠しをされた秀が勇次の立つ側にやや首を向ける。 両足はそれぞれ膝と太腿が伸ばせないよう関節で縛られたうえ、上半身も首と胸の上下にかけて戒められている。 両腕は後ろ手して前から回した縄と幾重にも結んであった。 こんな複雑さで縄が絡んだ状態では、自由に動くこともほとんど叶わないようだった。 こんなことを本当に悦びに感じるものがいるのだろうか。 まるで別の人間のような姿の秀を目の当たりにした勇次は、くらりとして足元の平衡感覚さえ失いかけた。 目の前に仰臥する自分が知っていると思っていた男は、縄で四肢の自由を黒い布で視界を奪われて、 これからされることを自ら望んでいるという。 「…き…つね…?」 掠れた声で秀が訊ねるが、もちろん声を出すわけにはいかない。それでもキツネ以外の見知らぬ者が相手になると分かったらしい、 恐れと緊張からか、縄の絡んだ胸が浅く早く隆起をはじめた。 勇次はなかば呆然としたまま、秀の顔の側に膝をついた。 ほんの一瞬、秀がなにかを確かめるように喉をのけ反らせ、深く何かの匂いを嗅ごうとする。 視界が閉ざされている分、それ以外の感覚がするどくなっているらしい。 言葉を発せず傍らで見下ろしている相手に対し、さすがに怯えているのだろう。 勇次はほとんど無意識に秀を安心させるための行動をとろうとした。 キツネからなにをどうすればいいかはあらまし聞かされてきたものの、その行為に移るには、 自分のなかでも何か心を落ち着け覚悟を決める必要があった。 この場で唯一自分の、そして秀の慰めになりそうなものは、口吸いくらいしか思いつかなかった。 秀の頬に手をあて、顎を軽く上げさせる。一瞬戸惑ったあと、意を決して勇次は顔を寄せていった。 何が始まるか身を瞬間的に固くした秀だが、唇がそっと上から合わさってきたときには、息を呑んで驚きを示していた。 どうやら、口には別のものばかり咥えてきたようだ。 一度離し、ふくらみのある形の良い唇に、親指を当ててなぞり軽く開かせる。 今度は歯列を割って舌を挿し入れると秀の体にまた震えが奔った。 口吸いそのものは女とするのと変わりはないのだと知る。…それにしても奇妙な感覚だった。 まさかいま男の自分が、簪屋の唇を犯しているとは。奥に逃げようとする舌を追いかける。 秀が諦めて捉まると、身構えていたよりも早く、不思議と勇次のなかから抵抗感が失われてゆく。 こうしているのが誰なのかを秀が知らないという事実が、より背徳の欲をそそった。 この場を満たす卑猥で異様な雰囲気に知らず呑まれかけているのかも知れない。 それでも、これから責められ嬲られる一方の肉体にせめて何らかのいたわりを与えてやりたいと、 嗜虐の趣味が理解出来ない勇次は思った。 動けないのをいいことに、角度を変えてさらに深く口づける。 顔に添えた指先で輪郭を辿りながら時間をかけてゆっくりと舌を絡ませるうち、秀の体から力が抜けてゆくのを感じた。 やがて秀のほうからも、おずおずと舌を差し出して応えてくる。 濡れた音が激しくなると、ん…、と苦しいのか甘いのかよく分からない呻きを秀が漏らした。 初めて聞く強がり以外の秀の声に、ぞくりと腰の辺りを官能が奔った。 ようやく唇を離したときには、秀の頬が上気し、肌までもが熱を持ち始めていた。 勇次はキツネに言われたように、布団の脇に用意してあった塗りの剥げかけた四角の盆を見た。 並べてあるいくつかの卑猥な玩具のなかから、あるものを手に取った。 仰向けに転がされた秀の艶めいて光る唇に、なにか固く丸いものが軽く触れた。 秀のからだがひくりと波打つ。それは数珠より大きな珠を棒状につないだものだった。 それが何であるのか、目隠しをされていても秀にはすぐ分かったらしい。 「……っ」 かすかに体全体が震え始めた。わななく半開きの口元に、真上から垂らしているその先端の珠が歯に当たってかちかちと小さく鳴った。 (……秀) キツネに唆された通りにしたまでだが、やはり止めようかと勇次は手を引きかけた。 ところがそのとき秀が口を開けて、自分からその珠を震える舌のうえに乗せた。 飴玉を与えられたように、ひとつまたひとつと繋がったそれを入るだけ口内に受け入れる。 勇次は端をつまんだまま、それに舌を絡めている秀を信じられない思いで見下ろしていた。 「……」 しばらくそれを含ませたあとで、唾液をまといすっかり温まったそれを口から引き出すと、秀のからだの震えが一層はげしくなった。 勇次は伸ばせなくしてある腿の後ろに手を差し入れ、双丘の奥まった場所に息づく菊座を探り当てると、 指でその濡れた珠の先を押し込んだ。 「ひっ……っ」 秀の喉が空を切る。びくびくと全身が跳ね上がり、菊座が拒むようにきゅっと閉じたが勇次はかまわず、 ゆっくりとそれを奥に押し込んでゆく。すべてキツネの解説どおりだった。 その秘められた小さな場所に、卑猥な性具は途中からはさしたる抵抗もなく呑み込まれてゆく。 「ぁ…っ…はあ、ぁ………」 内腿から尻にかけてが激しく痙攣し、秀が体内に侵入する異物のおぞましさに耐えていることが伝わってきた。 勇次は息を殺して口を開き、からからの口に空気を取り込んだ。 ほとんどの珠を飲み込ませてしまうと、しばらく放置して見ているようにと言われている。 あいつは言葉で嬲られると燃えるんだが、あんたの場合はただ見てりゃいいさ、と。勝手に好くなるとは、どういう意味なのだろう。 相方の沈黙に羞恥を煽られているらしく、秀は目隠しをした顔を横に背けて奥歯を噛み締めていた。 それでももどかしげに内腿同士を擦り合わせている。立てた足の指がつま先立って、布団にめり込んでいた。 (感じて…るのか?秀……) 腰を浮かせようとする衣擦れの音。首を横に振ってぱさりと布団を打つ乱れた髪。 声を出すまいとするのか何度も唾液を飲み込んでいるが、せわしない震える呼気だけでも十分すぎるほど淫らがましい。 勇次は耳の中を犯されているような気分になった。己の下半身に血が集中してゆくのが分かる。 キツネに言われたことを思い出して、無防備な腹の辺りをすっと撫でてみた。 秀がそれだけで小さく息を呑み、びくびくとのけ反る。 「ん…っ、ん…ぅ」 喉の奥で呑み込む喘ぎはあきらかにこちらを誘うような媚びを含んでいた。 縄が肌を擦る刺激でまた感じてしまうらしく、腰を捩らせながら背が反るたびに縄が肌に食い込む音がする。 秀の股間のものは浅ましく立ち上がりかけている。まるで凄艶な自慰を見せつけられているようだ。 (こんな…。こんなふうに変えられちまったのか、おめぇは………) やるせない気持ちと今さらながら秀に歪んだ肉の悦びを教え込んだ男たちに対する怒りがこみ上げてくる。 その一方では、脳のなかが深紅に染まったような感覚にくらくらとし、気が付けば秀の汗で吸い付く肌から手を離せずにいる。 余裕を失くしてゆく秀の息遣いに操られるように、激しく反応を示す箇所に手を這わせるうち、とくに感じやすいところを見つけた。 つんと固く立った小さな乳首を指で押しつぶすだけでも反応は早いが、 わざと捻り強くつまみ上げてやると、そっちの方が余計に感度が好い。 執拗に弄られてハッ…ハッ…とはしたなく息を弾ませて胸をのけ反らせる、その動きさえもが悩ましい。 (誰にされても感じるように出来上がってるんだろ、おめぇのからだは……?散々こっちの気を揉ませておいて……) この異様な世界で、自分では身動きすらままならない相手に誘惑され操られているようだ。 そう思うと淫らな熱に浮かされている秀がなぜか無性に憎らしくなり、勇次は充血したそこに顔を寄せ今度は舌で舐り弄ぶ。 歯を立ててきつめに噛んでやると、秀の下肢にもクッと力が入った。開いた唇から赤い舌が覗いた。 「はっ…あ、ぁ…はぁっ…っ……」 目隠しをとっていたら、あの黒目がちの瞳は一体どんないやらしい表情を見せるのだろうと、 ふと勇次は黒い布を取り去ってみたいという衝動に駆られた。男にとって本来あっても無用な胸の飾りを弄られて、 ふるふると首を振りながらも被虐のもたらす甘美に悶える秀の姿は、あまりにも淫靡で猥褻な眺めだった。 秀の陽根はその感度を表して触りもせぬのに完全に勃ち上がり、悦びの滴まで光らせている。 (ダメだ…。オレまで飲み込まれちまう) この感じやすいからだにもっと刺激を与えてみたら。 自分の指ひとつ舌ひとつでこんなにも乱れる様を見ていると、もっと声が殺せなくなるまで追い詰めてやりたくなる。 途中まで高めてやって、飽いたら放置して外に出てくれば、あとはキツネが替わると言っている。 にもかかわらず、勇次のなかでどうしようもなくおぞましい好奇心と欲望とが膨らんでゆく。意識せず手が動いた。 「んんんっっ…あ、あ、っや!……ぁーーー……っっ」 体内に収めた淫具を前触れなく引き出され、ふだんからはまったく想像もつかない声を漏らして秀は今日初めての気をやった。 自らの精で腹を穢しビクビクと痙攣したあと、かくりと横に首の落ちたそのしどけない姿まで見届けると、 ようやく我に返った勇次は背を向けた。 いつの間にか汗をにじませていた額に手を押し当て両の瞼を固く閉じる。 体中の血が逆流していたが、しばらく声を立てず深呼吸でもして自分の欲望を落ち着かせるしかなかった。 耳の中にまで痛いほどに心音が反響している。 ここで自らを慰めることは、秀を重ねて犯すことになる気がした。そしてまたそうする自分自身が到底許せそうになかったのだ。 下肢に集まった熱をどうにか散らせて、もう振り向きもせず、勇次は部屋を出た。 耳の奥にまだ、先をねだるような秀の切ない息遣いが残っている。 ぶるりと大きく一度かぶりを振って、ややふらつきながら暗い鰻の寝床のような廊下を二度折れると、 「おや、地獄から舞い戻ってきたような面だ」 どこからともなく現れたキツネが薄笑いを浮かべて擦り寄ってきた。 「どうだい、愉しめたかえ?それとも二度とごめんかい?」 二度と、と出かかった言葉が、一瞬閉じた瞼の内側に浮かんだある秀の仕草を思い出し止まってしまった。 唇を離そうとしたとき、ほんのわずかに後を追い引き留めようとした、あの名残惜し気な秀の仕草を。勇次はフッと息を吐くと答えた。 「……なかなか愉しめたぜ。気に入ったよ。また次も呼んでくれ」 秀はいつものように細工にいそしんでいた。 軽快そうでいて細心に手心を加えた小槌の使い方によって、鑿の先に伝わる力を微妙に変化させる。 最近の秀の簪には、色気が出てきたと問屋の目利きにそう云われた。ただ精巧で美しいのでなく、どこか艶めかしいと。 (……) 外目には専心そのものであっても、秀の目は細工ではなく、違う闇を見ている。 実際の秀の心はあれ以来ずっと遠いところを彷徨っていた。 これまで三度会った、謎の男のことが頭から離れない。一言の嬲り文句も発せず興奮した息遣いひとつも聞かせず、 ただ秀のからだをいっときの間弄んで、いつもふいと部屋を出てゆく。 これまで何度かキツネ以外の見知らぬ男を相手にしたが、皆いたぶりながら興奮し必ず体を繋げた。男はそうしない。 むりな体位で交わろうとも、男たちのほとんどが好む 口淫をさせようともせず。それで男は満たされるのだろうか。何を満たしているのだろう。 キツネにどんな人物なのかそれとなく探りを入れてみたが、うまい具合にはぐらかされた。 あんたとは逆の趣味のお人だよ、血を見るようなのは好みじゃねぇらしい…ちょうどいい相手がいて良かったじゃねぇか、 とそれ以上の情報は教えてくれない。 こんな因果な商売だけど、信用ありきで成り立つ客あきないだからな、と。キツネにしてはまっとうな説明だった。 秀がつい考えなくともよいことを考えてしまう理由は、他にもある。…というより、いまはその理由のほうが大きい。 からだを繋げない代わりに、男は他の連中がしない口吸いをしてくる。 部屋に入ってきたときにはすでにキツネの手で縄を受けている秀の不自由な体の傍らに膝をつくと、 頬を撫で、指で唇をなぞって、そっと口づけを落としてくるのだ。 その温かな感触とくすぐるような舌の動きに、秀はだんだんと我を忘れて夢中になってゆく。 一方的な受け身が基本であるこの営みのなかで、舌を絡め合うその行為だけは、秀も自分から行える唯一のことだった。 このわずかな時間が、いまや秀がここに通う密かな理由になっていた。男に口づけられたい。男に応えたい。 そしてそう思っていることを、どうにかして伝えたい…。 しかし声に出して乞う勇気はなかった。一言も発さない男のことだ、 口が利けないのでなければ、自分の意思で沈黙を守っているのだろう。 秀がもし声に出して、男に何らかの返答を促すように仕向けたと思われたら、もうこの次は二度と来ないかもしれない。それを恐れる。 恥辱にまみれ外道に身も心も踏みにじられることでしか、本当の己が開放されないと思っていた。 ところが男と過ごすいっときの時間はあたかも、そのままの自分が赦しを得られているような錯覚を秀に抱かせる。 どんなに浅ましい姿を見せても、最初と変わることなく口吸いから始めて頬を撫でてくれる。 まるで分かっているとでも言うように……。だから何をされてもいいと思ってしまう。 本音はそれ以上のところを求めていた。なぜ、男は最後まで抱いてくれないのだろう。 絶対服従を身をもって知らしめる嗜虐的な行為は、キツネの言ったように男が好まないからなのだろうが、 肌に手や舌を這わせるのみで、決して秀に体で触れようとしない。 むしろ極力接触させないようにしている気がしてならないのだ。 口吸いの間だけ、唯一ふたりの身体が近づく。 そのときに秀は深く息を吸って、男の匂いを嗅ぎ取ろうとする。 男が使う髪油の匂い…、初めて嗅いだときからどこかで覚えがあると感じていた。 それは一度だけ、胸に縋りつき抱き留められた記憶のなかにある匂いと酷似している。 (まさか……。そんなことあるはずが…。同じ髪油を愛用している男なんかいくらでもいる…) 気を抜けば繰り返し何度も襲ってくるその疑惑を、秀は打ち消し打ち消し、それでもどこかで夢想してしまっていた。 (頼むから…、一度でいい…、俺を……) 手元が狂って鑿が逸れた。ハッとして刃の部分を思わず掴んでしまう。 「っ……」 鋭利な刃で切れた指先を、秀は呆然と見つめた。 大した深さではないが、左手の人差し指の第二関節にかけて深紅の血だまりがみるみる盛り上がってくる。なにも考えずに口に咥えた。 (……苦しい…。いまのままじゃ生殺しだ…) 生暖かい血を吸いながら、秀はただぼんやりと想いを馳せる。あの口づけを想い、無意識に指に舌を絡めていた。 「……ん…」 目を閉じて感触を思い出しながら口内を指でさぐる。 いつの間にか右手はゆっくりと自分の首筋や半纏の胸元を撫でるようにしていた。 (………もっと、近くに寄って…触って…) 「…ゆぅ」 自分の切ない声で我に返った。 濡れた指を凝視し、秀は両手で一瞬髪を掻き毟るようにすると、そのままがっくりと手の中に顔を埋めてしまった。 忘れようと思っていた。忘れなければならないと。思い出すたび胸が震え体が熱くなるあの抱擁を。 男の登場が、それを阻んだ。同じ髪油を使い、長く繊細な指を持つ謎の男が。 続
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