こうして秀は、怪我が治り体力が戻って山を下りられるようになるまで、 勇次の姿をした鬼と一冬のあいだ寝食を共にすることになった。 もちろん本物とだって一緒に暮らしたことなどなかったから、はじめはとても奇妙な感じがした。 「ヤケになるなよ、秀。うまい具合に回復出来るかはお前次第だ」 最初に鬼の言ったとおり、この満身創痍の怪我をきちんと治すには、かなりの時間と忍耐が必要になる。 寝たきりだからどうしたって、誰かの手を借りずにはいられない。何しろ自分ひとりで排泄も出来ないのだ。 憎くても、見慣れ馴染んだ姿をときにぼんやりと縋る目で追っている自分自身に、内心ひどく苛立ちもしたが、 これは勇次じゃなくて鬼のゆうじだとそのたびに己に言い聞かせた。 ゆうじはひとつきりしかない寝具を怪我人に明け渡し、自分は獣の皮をひっかけて囲炉裏端に無造作に横になるが、 秀が痛みや熱にうなされて目が覚めると、いつだって起きて枕元に座っている。 「・・・ゆうじ。おめぇいつ寝てるんだ?」 「おめぇの寝てるあいだにさ、秀」 ゆうじはすっかり口調までもが勇次そのものになり、嫌な顔一つせずかいがいしく世話を焼いてくれる。 それどころか雪に閉ざされた狭い小屋での二人きりの暮らしを、存外愉しんでいるかのようにも見える。 こうなるとますます秀は困惑してくる。 感情の相克をやり過ごしながら、なんとかやってゆくしかないのか。自分の胸の内など、鬼が知るはずもないのだから。 被った笠に頭が守られ奇跡的に無事だったように、 寒さしのぎも兼ねて胴体にきっちり巻き付けておいた荷物のおかげで、幸い臓腑は傷ついていないようだった。 しかし折れた骨のあたりが化膿してきたのか、高熱と疼きに秀は日増しに苦しむようになった。 土間に干してあるさまざまな薬草を取り交ぜ、ゆうじが煎じてくれるひどく苦いお茶を僅かな木の実と共に口にすると、 少しだけ体が楽になる。薬効の副作用なのか、痛みが遠のくと同時に意識が混沌としてくると、 幻聴を聞くこともあった。 ―――おめぇのいないこの世は つまらねぇ・・・ ・・・おめぇがどこかで生きてると信じてるから オレも生きていけるのさ―――― 懐かしいその声に、分かってる、俺は生きてる・・・と秀は朦朧と夢のなかで返事をした。 それは珍しく風のない静かな夜だった。 降り積もった雪がこの世の物音をすべて吸い取ってしまったのではと思わせるほど、 小屋の外は静まりかえっている。厳しく寂しい冬山に居ても、 小さなこの小屋のなかだけは、不思議といつでも温かく居心地がよかった。 「寒くはねぇか?雪下ろししたら軒近くまで積もったぜ。このぶんじゃ明日は一面凍り付くかもな」 枯れ枝を手折って火のなかに投げ込みつつ、ゆうじが訊ねる。 的を得た手厚い看護のおかげで化膿の悪化を食い止め、秀はいまでは夜具のうえで起き上がれるまでになっていた。 「寒くねぇよ。おめぇこそ・・・、俺にずっと布団譲ってて辛くねぇのか?毎晩板の上じゃ体が痛むだろ」 申し訳なさげに繰り返す秀に、穏やかに笑ってゆうじは首を横に振った。 「平気だ。ま、どうしてもってときには、横に潜り込ませて貰うがいいんだな?」 「・・・・・」 目を宙に彷徨わせ、どことなく傷ついた様子を見て鬼が問う。 「―――秀。おめぇの大事な相手なんだろう、勇次って男は」 キッとして秀が食って掛かった。 「っ・・・違う!誰がだっ!大事な相手なんかであるもんか・・・。 おめぇが変化 (へんげ) したその男はな、・・・俺の、殺したい相手だよ」 反論を聞いたゆうじの切れ長の目が、一瞬光ったように見えた。 「殺したいほどに愛しいのか・・・」 「違う!!」 まだ腹に力が入らず肩を使って喘ぎながらも、血を吐く様に否定する。 折れた肋骨が激しく軋んだが、両腕で己が胴体をきつく抱き秀は声を張り上げた。 「あいつは俺を裏切った―――。すっかり信じ込ませておいて、いきなり俺を番屋に売り穢ねぇ罠にはめやがった」 「・・・・・」 「そのうえ俺の手口を真似て五人も殺しやがったんだ・・・!」 「たしかにそいつの仕業なのか?」 勇次の声で訊かれて秀はぎくりとした。どこかに自分でも釈然としていない気持ちを追い出そうとしていたことに、 あらためて気づかされる。 「ほ――他に誰がいるってんだ!俺たちの事情を他に知ってるやつなんているわけが―――」 「裏切られたと言いながらおめぇのなかに未練があるから、オレがこの姿でいるんだろう」 「っ!」 「おめぇは心の底では勇次がそんなことをするはずがねぇと、今でもどこかで信じたい。・・・そうじゃねぇのか」 「そん・・・なわけねぇ!!たっ・・・たとえやったのがあいつじゃなかったとしても、 巻き込まれて酷ぇとばっちりを食ったのはこっちだぜ。いまさら後にはひけねぇ。 必ず勇次を探し出してサシで決着をつけてやる。―――売られた喧嘩は最後まで買う。それが俺たち仕事人って生業の掟だ!」 自分たちの裏の仕事のことを、今更このゆうじに隠す必要を感じなかった。 秀が冬山を超えようとしたわけを何ひとつ訊こうとしないのも、今ではなんの不思議もない。 こんな山奥に独り暮らしている隠者めいた鬼が、 はるか下方の人間界で起こる修羅場になどおよそ関心を持つはずがないからだ。 むしろ人である自分のほうが、 この鬼の静かで清いともいえそうな暮らしに逆に俗気を持ち込んでしまった。 秀はそう思いながらも、見透かすようなゆうじの言葉の誘導を断ち切りたくて、 その澄んだまなざしをキツい目線で撥ね付ける。 「・・・どうしても勇次を探しに行くのか、秀」 「そうだ」 「死ぬつもりか」 はっきりと云われて、血の気の戻りつつある秀の口元に皮肉な笑みが浮かぶ。 「あいつよりかは一瞬でも後に死ぬつもりではいるぜ・・・。なんでそんなことを訊く?」 これまで見せたこともない奇妙な表情を浮かべて秀を見ているゆうじに、怪訝に思って秀が訊ねると、 「オレが、おめぇを行かせねぇと言ったら―――どうする・・・?」 「・・・え?」 火の元からゆらりと立ち上がったゆうじが、驚く秀の傍らに来て音もなく片膝をついた。青みがかった水鏡の瞳。 じっと目の奥を見つめられて、見えない何かが体を心をキリリと縛り付けた。 あたかも勇次の三の糸を思わせる。秀は魅入られたように、黒目がちの瞳を開いたまま動けなくなった。 「・・・秀。オレがなぜおめぇを助けたのか、知りたくはねぇのか・・・?」 いつも以上に低い声音で問われて、はじめて秀はハッとする。そうだ。 自分のことで精いっぱいで、ゆうじのことを考える余裕がなかった。 言われてみればそうだ。ただの親切心だけで人間を助けるだろうか、鬼が。 鬼は人を喰うか害を為すと言い切っていたのは自分だったのに。ごく近い距離に寄せてきた白皙の貌を茫然と見返した。 「勇次を殺したいって言ったな」 「・・・・・ぁ、・・・あぁ」 自分では何度となく口にしていたのに、鬼の口からひそりと言われると、なぜかゾッと背筋が冷たくなった。 「任せておけ。オレがおめぇに代わって、勇次を殺して来てやるよ」 「!!なっ・・・!?」 「だから、おめぇは晴れて恨みを晴らして―――、ここでこのまま、オレと一緒に暮らすんだ」 恐怖で秀は目を見開き、同じ美しい貌でいながらまるで異なる、禍々しい気を湛えたゆうじの顔を凝視する。 気持ちでは身を引いているつもりで全く動かせない秀の肩に、いつも世話をしてくれる温い手が柔らかくかかる。 「・・・―――なんの話・・・」 「オレは長い間ひとりで生きてきた。たった独り、人も通わないこの寂しい山の中で・・・」 「・・・・・」 「おめぇを見つけて、まだ息があると分かったときは狂喜するほど嬉しかったぜ、秀」 肩を包み込む手にクッと力が入った。びくともしない鉄のような指に掴まれ、秀はかすかに震える口を開けて喘いだ。 「寂しいんだ。もう・・・独りになるのはいやだ。おめぇに手荒なことはしねぇと約束する。もちろん喰ったりするもんか。 だからずっとこのまま、オレとここに棲んでくれ・・・秀」 「でき・・・出来ない、ゆうじ。そ・・・それはかなわねぇ、・・・分かる、よな・・・?」 ぎらりとゆうじの目が光る。 「―――なぜ?」 「だ・・・。だってそうだろ・・・?おめぇと俺とは、違う世界に生きる者じゃねぇか・・・」 そこでフッと肩を掴む手の力から解放された。 同時に金縛りの呪縛からも解かれた秀は、いま聞かされた鬼の理由とやらの衝撃に、ただ呆然と瞑目するより他なかった。 心の底から生じてくる名状しがたい恐怖。勇次を代わりに殺してやると言ったことの意味は分からないものの、 この鬼が最初から手元に置くつもりで、遭難した自分を懸命に蘇生させたのだということだけは理解させられた。 震えながらもようやく瞼を開くと、 禍々しさをも瞬時に消し去った静かな貌のゆうじは、布団の脇に座りなおしたところだった。 「おめぇは自分とオレは違うと言ったがな・・・。オレも初めから鬼だったわけじゃない。元は人間の男だったのさ」 「!!」 「秀。おめぇが自分の話をしてくれたから、今度はオレの話もしてやろう―――」 鬼は淡々と言ってその蒼褪めた顔に向かってにやりと笑うと、身の上を話しはじめた。 続
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