なかば秀の方から引っぱるようにして、ふたりは畳の上に倒れこんだ。 今日もっとも間近で見る顔が、まだ迷う表情を浮かべている。 視線を逸らさずジッと見上げると、唇を寄せかけた勇次の目がふと傍らの行灯に向いた。 「いい」 秀は勇次の腕に手をかけ引き留めた。かつて秘かに逢う夜に、灯りを消せとうるさく言っていたのは自分だった。 手掛けた仕事の代償としてあちこちに刻まれた傷痕は、一生己から引き剥がすことは出来ない。あたかも罪の証しのように。 そんな体を見られることが厭だった。勇次にその傷痕を愛されることも。 灯りの下の顏を晒して、肉体だけの関係に揺れ動く心までをも知られてしまいそうで恐かったのだ。 だが今は、勇次に対して逆のことを言っている。 ためらう態度の裏に隠された昏い心を、暗闇に紛れさせて見逃すわけにはいかない。それが唯一、この男に自分がいま出来ることだ。 切れ長の目が物言いたげに問いかけてくるのを、照れ笑いでごまかした。 「俺は構わねぇから早くしろよ」 「・・・まったくおめぇは・・・」 つられて苦笑した勇次が呟いた。秀の髪を馴染んだ手つきで掻き上げ、指で耳を挟んで頬を包み込む。 「手加減出来ねぇかもしれねぇ。―――オレも久しぶりだからな」 自分から大胆に誘っておいて、その一言に羞恥で体が内側からカッと熱くなる。でも、もう後には引けない。 秀も長らく人肌と直接触れ合うことはしていなかったが、勇次とのこれはただ生理的な欲を吐き出すための行為ではない。 男の肉体でもって男を受け入れること。それに苦痛や恥辱が伴うものと知っていても、 それでも秀は勇次とひとつに繋がりたかった。 己のすべてを明け渡して、この男の存在そのものを全身全霊で感じたいのだ。お前がここにいる、と。 「よく言うぜ。おめぇが手加減したことなんかいままであったか?」 今夜に限ってわざとふざけてみせる減らない秀の口を、返事のかわりに勇次がようやく塞いだ。 季節にしては日暮れてから肌寒さを感じる日だったが、閉じた窓の内側には暑いほどの空気が籠っている。 狭い廊下を隔てた襖の向こうで別の酔客たちの騒ぐ声がするのが、 物音をもう抑えることすら難しくなっていた奥の間のふたりには、むしろ都合がよかった。 口吸いだけで秀を翻弄させながら、相変わらずの手際で脱がせてしまうと、 勇次は胸から腹にかけて秀の感じやすい場所に口づけながら降りていった。 自分以上にこの体について良く知っているみたいに。 心憎く探り当てる指先と唇によって拓かれた若く正直な肉体が、鋭敏な感覚を取り戻して自らほどけてゆく。 へそを舐められてピクンとのけ反ると、下腹に自然に力が入る。 腹の下でさっきから疼いているものに血が集まってゆく。勇次の手がそれを掴み、玩具をもてあそぶように揉んで軽く扱いた。 「ハ・・・ッ―――んんんっ」 止めようと伸ばしかけた手を阻止された。いつもこの調子で思うつぼにはまってしまう。 「勇次、あ・・・狡ぃぞ!お、おめぇのも触らせろっ・・・」 勇次が元の位置に身体を戻してきた。もつれ合う裸の足に互いの雄の証しが当たる。 立ち上りかけている勇次のそれに秀の手が伸びた。温かな肉の棒の感触が、指の間でみるみる硬く変化する。 その獰猛さに秀は息を弾ませた。 「嬉しいが、もっと優しく扱ってくれ」 「どーせ俺は下手だよ・・・」 不貞腐れてみせると、声に出さず笑った勇次の手が秀に重なり、共に動きだす。すぐにぬるぬるとした湿り気が混ざり、滑りが良くなってきた。 勇次が深く息を吐き目を閉じるのを、秀は至近距離で見つめた。相手が感じているところを見るだけで、 なぜ自分まで熱く高ぶってくるんだろう。 興奮した秀のものもすっかり硬くなり、意識せず勇次の足に擦り付けていた。 気づいて目を開けた勇次が秀の股間に手を伸ばす。見つめ合ったまま近づいた頬と頬が触れ合い、また唇が合わさる。 軽くついばむような口づけが、手の動きにつれてだんだんと激しさを増してきた。 ふたりは片手で相手にしがみつき互いを愛撫して、ほぼ同時に上り詰めた。 勇次の全身が秀の眼前に晒されたが、それは自分の方も同じだ。 しかし不思議ともう抵抗はなかった。それだけ勇次の傷痕に圧倒されたともいえる。 わざわざ触れようとしなくても、絡み合うなかで自然にそれらと接触し目に入る。ざらついた感触が肌を掠めるたびに、 勇次しか知らない陰惨な記憶をなぞらえるようだ。 ゆっくりと勇次が入ってくると、指とは比べものにならない圧迫感に本能的な恐怖を覚える。 だがしばらくすると、覚えのある感覚がまだ届いていない肉の奥で目覚めた。 自分のなかだけで感じているはずの疼きが、やがてすべてを収めて静止したままの勇次の鼓動に応え始める。 余計な力を抜くための吐息が淫らに変わってゆくのを抑えられなかった。 体内を深く穿つ重量感に加えて、直接的に感じる力強い脈動。 空気さえ入り込む隙間もないほどにピタリと吸い付いた皮膚と粘膜は、記憶よりも熱く溶け合う。 軽く一度突き上げられて、声にならず秀は大きくのけ反った。 口を開けて喉の奥に空気を取り込みながら、待ち望んでいた一体感を手放すまいと勇次の背を両腕で抱え込む。 この傷痕を自分が代わりに負うことが出来ればどんなにいいだろう。 勇次もまた、闇の仕事人としての引き剥がせない烙印を体に押されてしまった。 「動いていいか?」 気遣うような声に目を開くと、知らず目尻から零れたものが頬を横切って耳の中に入った。慌ててまばたきをする。 「あぁ」 目を留めた勇次が何か言う前に、秀は自分の唇でその声を塞いだ。 手加減は出来ない―――勇次が先に宣言したとおりだった。 それ自体はいい。体は正直悲鳴を上げ始めていたが、自分から音を上げることはしないと決めていたのだから。 だが今夜の勇次の抱き方は、始めた時の気のすすまない様子と相反するように刻々荒々しさを増していった。 何度か精を吐き出し飽くことなく秀を責め立てる間も、不気味に沈黙したままひたすらに体だけを打ち付けている。 そんな勇次から飢餓にも近い激しい焦燥が伝わってきていたのは、気のせいではない。 まるで何かを忘れるため、何かに囚われることを恐れて、快楽の中に自らを追い込み駆り立てているような―――。 「―――うっ、ぅぅ、・・・あ・・・ぁ、ァ・・・っ!ゆ―――じ・・・っ」 上体を起こして背後から突き上げる激しさに、さすがに抗議が飛び出した。 苦しくて前に逃れ出る秀の四つん這いの上体を、強い腕の力が引き戻した。 勇次が濡れた胸をひたと密着させて、肩口に顔を寄せてくる。 動きを止めて耳たぶを軽く噛み、汗ばんだ首筋へと降りてゆく仕草は一転して優しい。 なだめるような甘噛みにホッと気を抜いてしまった秀は、次の瞬間びくっと目を見開いた。 行灯の油が尽きてしまったらしく、いつの間にか視界は暗く、窓側の障子の白っぽさが頼りない陰影をもたらすばかり。 だが自分たちが埋もれた暗がりよりも、秀はいま肩に感じた違和感に我に返った。 肩の付け根の柔らかい箇所に、ふいに勇次が強く歯を立てたのだ。 これまで重ねてきた情事のなかで、甘噛みではなくこんなことをされたのは初めてだ。 声を上げるほどではないが、痛いと感じるくらいにはしっかりと肉に食らいついている。 「・・・!?」 何の冗談かともがいてみたがそれでも歯は離れてゆかず、かえって振り切られることを拒むように更に強く食い込んだ。 こんなに汗にまみれているにもかかわらず、秀の背を冷たいものが走る。これほどまでに求めていた相手に、今夜初めて感じる恐怖。 顏が見えないだけに、勇次の意図が分からない。 「・・・ゆ・・・」 そのとき、ほんのかすかだが、低く呻くような声を聴いた気がした。 振り向くことも出来ない秀は息を殺し、もう一度聴き取ろうと耳をそばだてる。 (勇次―――?) 胸全体で荒く深く呼吸しながら、確かに喉の奥で勇次は低く唸っていた。 溺れる者が死に物狂いでしがみつくように、秀の体に両腕を固く巻き付けて。 内なる何かの衝動を抑え込むために、反射的に目の前の肩に食らいついたのかもしれない―――秀は気づいた。 痛めつけられた体の生傷自体は癒えても、醜い傷痕として一生残るならば、 心についた見えない傷はどれほど深くその人間に影響を及ぼすのだろう。 何ひとつ口にしないが、いっそ早く殺してくれと願わずにいられないほどに凄絶な体験が、勇次に突如として記憶を甦らせてしまうとすれば。 死を覚悟していたとはいえ、生還した後々にまでもその傷が内側から心臓を食い破ろうとする衝動に、独り苛まれていたとすれば。 手負いの獣が威嚇するような低いおめきをすぐ耳元で聞き続けながら思った。 (・・・おめぇを苦しめてる悪夢と、いま戦ってるのか―――) 「勇―――、おい、聴こえてるか?」 返事はない。だが気配だけで聞いていると感じた秀は、迷わず口にした。 「噛めよ、もっと強く。いいから―――そのまま食いちぎれ・・・勇次!」 それは当たり前のように飛び出した、本心からの言葉だった。勇次の体が一度大きく震える。 しかし秀は勇次の腕にすかさず自分の腕を重ねて、手の間に無理やり指を差し込んだ。 そうして勇次の手を離さないようにがっちりと握りしめてから、もう一度語りかけた。 「ウソじゃねぇ・・・そうしてくれ、勇次。おめぇの傷の痛みを俺にも分けてくれ―――お願いだ」 「・・・・・」 「何でって訊くのか・・・?俺にも正直わからねえ。―――でもそうして欲しいんだ、勇次。 そしたらおめぇと・・・ホントのホントにひ…ひとつになれるんじゃねぇかって」 言下に勇次の腕の力が再び徐々に強まり、骨が軋むほどに締め上げられる。 息が詰まって秀の言葉が出なくなるのと入れ替わるように、ぎりぎりと食い込んでゆく歯が皮膚を食い破って中の肉に到達しようとする。 秀は奥歯を食い縛り震えを飲み下しながら、その筆舌に尽くしがたい痛みと熱を受け入れた。 (勇次、勇次―――。おめぇだけを堕としはしねぇ) この痛みこそ、こいつが生きてる証しだ。 この男がこれほどまでに自分を求めるのならば、この男を愛し求め続けることが赦されるのならば、血も肉も心もすべてを与えよう。 勇次が自分の傷痕にどんな想いで触れていたのか。その本当の意味を、秀はたったいま理解した。 最初にふたりがそうなった日の翌日。 初めての経験で、疲労と痛みとにぐったりと横たわる秀に布団を明け渡して、勇次は翌日ふつうに表の仕事に出ていた。 何事もない様子で時おり心にもない世辞まで言って、やって来た客と談笑する声を遠くに聞きながら、 秀は悔しいやら恥ずかしいやら頭や胸や尻が痛いやら、自分でもぐちゃぐちゃに入り乱れた感情を持て余して突っ伏していた。 半日以上そうしているうち、考えるのも悩むのも疲れ果てていつしか眠ってしまった。 ・・・気が付くと誰かが髪を梳いている。寝ているところを起こすような動きではなく、軽く穏やかな触り方だ。 勇次の手は大きくて指が長く、そして見た目よりずっと温かい。そのことは昨日初めて知った。 ぼんやりと思いながら、丸く縮こまり顔の隠れた寝姿をいいことにそのまま寝たふりを続けた。 あのことがあったから、秀はその後も勇次の誘いを断らなかったのだ。勇次はきっと知らないだろうが――― 小説部屋topに戻る
|