秀、迷走する 3







 次の日の夜。加代の呼びかけに、仕事の仲間がいつもの談合場所へと三々五々集まってきていた。
 秀がやって来たのは最後だった。
「おせぇぞ」
 気配を察するなり、八丁堀が脅しつけるような声をぶつけてきたが、 秀は無言でその目の前を横切った。暗がりに溶け込む壁際を選び、いつものように背を凭せかけ胸の前で腕を組む。 反対側に佇む勇次からの視線を顔のうえに感じていたが、秀は完璧な無表情を貫いていた。
「これでそろったね」
 微妙な空気を取りなすように加代が言い、あらためて今回の仕事について説明をはじめた。 秀は頭半分でそれを聞き、残り半分は昨日のことを考え続けていた。
 やおはんで話を聞いたあとに秀は長屋に雄太郎を訪ねた。しかし雄太郎は留守だった。 同じ長屋の女房連中にもあたってみたが、雄太郎はいまひとり住まいだということ以外、 大した情報は得られなかった。ただここしばらく姿が見えないということだけは、 おにやすからの話の内容とも重なる。
 分かっているのは雄太郎と、いまは小間物屋に嫁したゆきのの身の上に異変が起きたということだ。 やはり二人はのっぴきならない事情を抱えることになったに相違ない。 熱心に続けていた仕事を辞め、仕合わせな婚家を出なければならないほどの。
『親父やオレたちがどんなにそこから抜け出してぇと思っても・・・、 一度裏の水に浸かった者はそう簡単には足抜けさせてくれねぇのさ。本人より、・・・周りのやつらがな』
(まさか・・・。昔を知る誰かに強請られて・・・?)
 雄太郎の言葉を再びまざまざと思い出したそのときだった。 加代の進めていた話のなかに不意に「掏摸」という言葉が出てきて、秀はわずかに目を見開いた。 無意識に息を殺して耳をすます。
「松蔵が組員だったっていう掏摸の一家は、親分が死んでから間をおかずに離散したらしいよ」
(――――!)
 秀の脳裏をなにか不穏な予感がよぎる。次の瞬間、加代の言葉に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「親分の子供たちがいたようだけど、跡は取らなかったみたいだね。 今じゃ行方知れずでどこで何してるかその後の足取りはつかめてない」
(・・・・・・・)
「それをいいことに松蔵がいまになって、長五郎の聞き込みから元仲間だった掏摸を捜し集めて、 今度は自分が頭(かしら)としてあらたに稼業をはじめた・・・。闇の会もよく調べ上げたよね」
 暗がりのなか秀は思わず目を閉じ、動揺をやり過ごそうと幽かに喘いだ。 そのわずかな瞬間を、勇次だけが目にとめていたことなど知るよしもなかった。
「・・・掏摸の連中も松蔵の屋敷を根城にしてるのかい?」
 今回から仕事に復帰するおりくがまず口を開いた。
「たぶんね。そのあたりはこれから調べてみないと分からないとこなんだけど―――」
 言いながら加代が秀のほうを振り返る。全員の視線が自分に集まっているのを感じて、 秀のみぞおちがスッと冷えこんだ。
「・・・松蔵の屋敷を探るのはかまわねぇ。ただ・・・」
「ただ、なんなの?」
「元一味だった連中を駆り集めてるのは、松蔵と目明かし野郎のふたりだろ」
 秀は緊張に上がりそうになる息を抑え込むと、ふだんの声の調子を保ってなにげない疑問を装った。
「ひとつ気に入らねぇのは、その掏摸仲間ってやつらまで殺る必要があるのかってとこだ」
 全員が秀の言葉に違和感を覚えたようだった。秀としてはしかし、ここで食い止める以外為す術がない。
「あこぎな取り立てに荷担してるわけじゃねぇ。やってるのはただの掏摸だ」
「松蔵の荒稼ぎに荷担してるんだから、殺るのが筋だろう」
 落ち着いた低い声が遮った。勇次に目をやると、感情のこもらない瞳が秀を捉えていた。
「なんでそう言い切れる?」
 秀の声に思わず怒気がこもる。
「松蔵は強請りの名人なんだろ。昔のことを逆手に取られてむりに引き込まれたヤツもいるんじゃねぇのか?」
「ちょっと待ってよ。なんでそこまで」
「・・・たとえそういうヤツがいたとしてもだ」
 口を挟みかけた加代のあとを引き取るように、勇次が冷たく言い放つ。
「そこから次の松蔵が出てこないとも限らねぇ」
「――――・・・」
 秀は奥歯を噛みしめ、勇次と睨み合った。 仕事人の不文律として勇次の言い分は正論だった。仕事を見た者は生かしてはおかない。 仲間は一人残らず殺る。自分が勇次の立場でもきっと同じことを言う。 しかし今回の仕事だけは・・・。
 かつて掏摸の一家を統べた親分の才を受け継ぐ遺児を、 松蔵が放っておくわけがない。むしろ真っ先に探し求めるのは、あの二人だろう。 この筋書きのさきに、いずれ雄太郎とゆきのの姿が浮上することはすでに明白だった。
 出逢ったときからすでに、二人は裏の世界の人間だった。 それでも彼らは、天涯孤独の秀が初めて親しくなった年の近い兄妹なのだ。
(・・・殺させねぇ。あの二人だけは)
 秀は一度ゆっくりと瞑目して勇次の目をまっすぐに見つめ返すと、ぽつりと言った。
「俺は今回降りる。いまいち気がのらねぇ」
 加代が驚いた目で秀を凝視したが、その表情を見ると口を噤み、俯いた。 おりくは見えない何かに焦点を合わせているかのようなまなざしで、ただ秀を見据えている。 勇次もまた、白皙の貌に一片の変化も見せなかった。
「おぃ秀。おめぇ―――なに隠してる」
 談合の場を立ち去りかけた秀の進路を、八丁堀のちょいと突き出した刀の鞘がはばんだ。 いつもと変わらぬ熱のこもらないのほほんとした口調だが、確実に秀の嘘を見抜いている。 狙いを決して外さないこの男の眼光から逃れることは出来ないらしい。
「なにもねぇ。ただ気がのらねぇだけだ」
 八丁堀が信じるわけがないと思いながら、秀はふと喉元に苦い嗤いがせり上がるのを感じた。
(俺がこの仕事の邪魔をすれば・・・)
 この恐ろしい男は一片の躊躇もなく、自分を斬り捨てるに違いない。 たとえ秀にどんな理由があっても、金と引き替えに引き受けた仕事の邪魔をしたという事実の前には、 情状酌量など考慮されない。
 いかなる事情があろうとそこに一切の個人的述懐を差し挟まない冷徹こそ、仕事人における最上の資質だからだ。 八丁堀は長年そうやって私情を廃し非情なつとめを完遂させてきた。 だからこその皆のまとめ役だった。そんなふうにいつか自分もなれるものと思っていたけれど・・・。
(八丁堀。俺はあんたみてぇな怪物にはなれそうにねぇ)
 秀は八丁堀の目を見たままわずかに口の端を引き上げると、音もなく隠れ屋を抜け出ていった。

 一方。
「・・・あのバカが」
 秀の背中が消えるなり忌々しげに吐き捨て、かったるそうに首をまわした八丁堀だが、 秀のあとに続き、裾を蹴さばいて出て行く勇次の素早い動きに、呆れ顔になった。 すかさずその背に向けてドスの利いた声で念を押す。
「おい勇次。あいつが今度の仕事を邪魔ぁしやがったら、オレがその場で野郎を斬る。 ―――それだけは忘れるんじゃねぇぞ」
 一瞬足を止めた勇次は、背中越しに低く応じた。
「・・・わかってるよ、八丁堀」

 秀がなにを企んでいるのか。勇次にもはっきりとは分からなかった。
 それでも。秀が自分の身を賭して何事かを為そうとしていること、 いわば命をも捨てようと決意していることだけは。それだけは先刻見交わしたあの目のなかに、 勇次がたしかに見出したものだった。
(・・・秀。おめぇはぜったい八丁堀に殺させやしねぇ・・・)
 勇次は決して見失うまいと、暑い闇に溶け込む秀の背中をひたすらに見つめてあとを追った。  






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