ぽつりぽつりと会話するうち、この旅の三味線弾きの間合いの上手さにじきに気づいた。 自分から色々と話題を振るわけではないが、不思議とこちらが話しやすいような合いの手を絶妙に入れてくる。 歌や踊りに伴奏を付けることと同じと思えば、仕事柄だろうか。 いつからそこに居たのか。尋ねてみたが、男は曖昧に笑って答えた。 「雨が急に降って来たから、兄さんと殆ど同じだったよ」 それにしても、この真暗な山中で過ごす一夜の無聊を慰める話し相手が出来たことは、 日ごろ余計な口を利かない秀にとってもありがたかった。周期的に訪れる憂鬱の波により不眠症を抱える秀だが、 ここのところまた少々その波が寄せて来ている時期だったからだ。 (もしもこいつが旅芸人を装う盗っ人だとしても・・・) 強面でも腕っぷしが良さそうにも見えない優し気な顔立ちの若造ということで、 舐めてかかってくるその手の悪漢をこれまでに幾人も返り討ちにしてやって来た。 その時のことを頭の中で再現しつつ、いざとなったら戦える準備もある。 この色男が万が一そういう類いの人間だったとしても、 腕に覚えのある秀の胸に負かされる不安などまったく生じなかった。 「旅芸人と一緒になるってのは、考えてみりゃはじめてだな」 「そうかい?兄さんとはずっと同んなじ道を旅してたんだぜ」 「へえ・・・?俺はちっとも、あんたのこと見かけなかったぜ?」 秀は通行人をさりげなく観察する癖が身についている。 同じ街道を行くあいだ、休憩その他でたびたび前後して同じ人間を見かければ、 いやおうなくその姿や着ているものの色などが記憶に刷り込まれるようになってしまった。 しかし秀には、この男を見たという記憶がない。男が軽く笑い、謎々を仕掛けるように言った。 「おめぇさんがこないだ、娘さんの草鞋の鼻緒をすげ直してやったのも、見てたぜ。娘が真っ赤になってたじゃねぇか」 あ、そういやちょっと前にそんなこともあったかな・・・。 言われて思い出した。それを見られてたとは。秀は驚いて首を捻ったが、 ふいに衝動がこみ上げてきて、大きなくしゃみをした。 「おやおや。冷えてきたんじゃねぇかい」 「うん。ま、大丈夫だ」 春から夏に向かう季節が幸いしたが、山の気温は平地よりもずっと低い。 秀はふと思いついて、自分の風呂敷包みを引き寄せる。取り出したのは大きめの竹筒だった。 腹ごしらえをしたあと宿場を出る前に、酒屋に立ち寄って中身を一杯にしておいたのだ。 まずは自分が一口クイと軽く煽ってから、向かい合って胡坐をかいた男に手渡す。 ニッと笑って訊いた。 「食い物はねぇが、こういうものならある。体があったまるぜ。その顔からしてイケる口だろ?」 「はは。さすが気が利くね」 こうして竹筒を行き来させつつ、とりとめない会話をしながらゆるゆるとした時間が過ぎていった。 雨はさっきよりかは勢いこそ小ぶりになったが、止む気配はない。 軽い空きっ腹にキュッとしみた後からじんわりと温まる体に回る酔いが心地よく、 そしてまた向かい合う男の声は、雨の音と相まって秀の心にやんわりと絡みつく。それが少しも厭ではない。 むしろずっと、このまま声を聞いて浮遊する謎めいた会話に身を任せていたい―――。 (・・・なんだろう?この懐かしい感じは・・・) 「あにい。あんた、俺とずっと道々一緒だったと言ってたが―――」 「・・・」 「その前にも、いつかどこかで会ったことはなかったかな?」 「―――藪から棒に。なぜそんなことを思いついたんだ?」 男は灯りに淡く照らし出された頬に微苦笑を刻んでいる。が、秀はさっきから、 この男とは以前に会った気がしてならないのだ。 こんな印象的な男に一度会えば、簡単には忘れないはずだ。だがどんなに記憶を辿ってみても、 いつどこで出会ったのかどうしても思い出せない。 諦めた秀はふと思いついて、男に戯言を投げかけた。 「あ―。ダメだ、思い出せねぇ!なあ、あにぃ。あんたホントに、ふつうの人間かい?」 「―――え?」 竹筒を膝に置いた男が少し驚いたように切れ長の目をしばたかせたのが小気味いい。 酔いにあかせた秀は笑いながら続けた。 「いや。自慢するわけじゃねぇが、俺はてめぇのもの覚えの良さにはちょぃとばかり自信があったんだがな。 どうやってもあんたとどこで会ったか思い出せねぇ・・・、となると―――」 「―――となると・・・、なんだい?」 妖しく揺れる瞳をジッと見据えながら、秀は続けた。 「もしかしたら、あんたはあやかしで―――。俺は最初っからあんたに狙われて尾けられてた。なんてのはどうだ?」 男は何も言わずに微笑を浮かべたまま、秀を見つめ返していた。秀の背筋がほんの少し寒くなる。 なのに、言葉はそれを払しょくするようになぜか口から零れ出して止まらない。 「折よく雨まで降り出したから、あんたは先回りしてここで待ち構えてた・・・。 そしてまんまと俺は罠にはまり―――、今まさにかどわかされかけてる、とかな。・・・ハハッ」 「それは暇つぶしの作り話かい?」 「だといいんだが。考えまいと思えば思う程、あんたにはどっかで絶対一度は逢った気がするんだよ。それもヘンだ」 「・・・・・」 「ってことはだ。―――ひょっとするってぇと、あんたはただの人間じゃなくって、 いつか別の姿で俺の前に出て来たんじゃねぇかって・・・・・」 いつの間にか笑顔を消していた男が無表情のままこっちを見ているので、 秀はすっかり居心地が悪くなった。が、突拍子もない話を持ち出して言いがかりをつけた自分が、 奇妙な雰囲気に陥ったこの場を取り繕うより他ない。なんでこんな話をしてしまったんだろう、 と自分自身にも不可解だ。 しかしまさかあるわけがないという気持ちが九割、 しかし残りの一割は、どうにも腑に落ちない気持ちを持て余していた。だから最後まで言わずにはいられなかった。 「俺も長くあっちこっち旅してると、時には説明のつかねぇ不思議なことに出くわすこともある。 だからちょいと、そういうことも思い浮かんだだけさ。―――すまねぇな、あにぃ。つまらねぇ話聞かせちまった。 気ぃ悪くしねぇでくれよ」 小説部屋topに戻る
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