勇次は美しいものが好きだ。 三味線屋という仕事柄、 色街や花柳界といった芸事の欠かせない華やかな世界に幼いときから馴染んでいたせいもある。 それはもちろん、母おりくとの暮らしのなかで自然に置かれていた身の上ゆえであった。 物心つく頃には、流しの三味線弾きの母親とふたりきりの旅から旅が、生活の中心だった。 もっともそれ以前にも、夜遅く旅籠を出て行ったきり見つけた時には林の奥で死んでいた父親とも、 旅空に暮らしていた勇次なのだが。母と"遭う"以前のことはもうほとんど記憶していないし、 あったとしてもすぐに忘れるようにしている。 しばらく大きな町で暮らすこともあるが、母が同じ場所で続けて二度同じ季節を迎えることは滅多になかった。 どこかの土地で仮の住まいに落ち着くと母は、「はりかえ処」と書いた小さな木切れを軒先に吊るす。 それが何を示すものか、幼い勇次には分からず書かれた文字すら最初は読めなかった。 あるとき指さして何なのかと訊ねたら、小さな子供の質問に一瞬虚を突かれたような表情を浮かべた母は、 これがあたしの生業(なりわい)さ、とだけ答えた。 短いその一言はしかし、どこか儚い微笑を湛えた白い貌と共に、勇次の記憶に強く印象付けられた。 あの木切れは表向きの三味線屋としての表札であると同時に、 母が裏の仕事をする上でもなんらかの役割を担っていたのかもしれない。 自分もこの稼業に手を染める頃には、そう思うようになっていた。 糸の張り替えや修理を頼む客はすぐにやって来たが、 それ以外にも時おり、手ぶらの客が他にひとの居ないときを狙いすましたように、 ふらりと訪ねて来ていたのをふと思い出したからだ。 およそ芸事には縁遠そうな坊主頭の無頼漢や半纏姿の職人、綺麗だが能面の如き門付けの女太夫。 死んだ父親に代わって勇次を連れ歩くようになった女も、 父親と同様にあまり色々なことを質問されるのを好まないらしいと、幼心にも勇次は肌で感じ取っていた。 だから出入りする客の違いを、なんとなく目で追ううちに見分けられるようになっても、黙っていた。 よく観察しその場の状況を冷静に見ていること、そしてそれに応じた態度で振る舞えること。 母となった女も勇次のそうした資質に気づいたあとには、あたかも自分の小さな相棒のつもりか、 勇次のことを「勇さん」と呼び、やがて隠していた稼業についても息子には徐々に打ち明けるようになった。 不思議だが、母の仕事の全貌を明かされたときにもそう驚きはなかった。 母の厳しく、ときに総てを拒絶するような目には、小柄で細いが時として異様なほど大きくも重厚にも見える恐ろしい背中には、 母の背負ってきた命の重さ―――死の重みが、少年期を脱け出す頃の勇次にはすでに見えていたような気がしたから。 そういう背景から自分には元々、仕事人になる素地があったと勇次は思っている。 自らすすんでその道を選んだとか選ばないとか、そういう選択肢は自分自身のなかにははじめから無かった。 旅の途中で頓死した父親と、そのあと拾ってくれた育ての母親。 添い寝の床で、どちらにも共通したある肌の匂いを通して、何も知らないうちから自分はもう、 この世の闇の部分を生きることを、半ば宿命的に受け入れていたのだろう。 先ごろまで居た京の都は貴族の作った歴々の大都会ということもあってか、 町人たち商人や芸妓たちも一様に気取ったところがあるのは土地柄としても、 その典雅な仮面の下に隠した素顔は、表の印象とはおよそかけ離れている。 持ち込まれる裏の依頼のほとんどは、人でなしも極まれりといった陰惨なものだ。 一夜過ごした美女がじつは骸骨だったという話などは、黄表紙や読み本にもよく登場するが、 現実は作り話よりも格段におぞましい。 今回の都で勇次はあらためて、人というものの美しさと醜さの表裏一体をつくづくと味わった。 久しぶりに戻ってきた江戸の町の埃臭さが、勇次にはむしろ好ましかった。 江戸では早速、三味線屋の看板は出したものの、勤めを続けるかどうかは決めていなかった。 母も何も言わなかったから、勇次はしばらくは表家業だけでのんびりと江戸の暮らしを愉しもうと目論んでいたのだった。 久しぶりに江戸の女の肌に耽溺するのもいい。都でため込んだ心の垢を江戸の水で洗い落とすつもりでいた。 だが、このまま平穏に過ぎて行くことを望んだ日々は、ほんのひとときの休息に終わる。 おりくを強請りの標的にしたある事件をきっかけに、 決して短くはない歳月をこれまで実の親子のように生きてきたふたりが、 秘められてきた母子の重い過去と向き合わされることとなった。それだけではない。 その流れで、ふたりは江戸に存在する仕事人たちと一時的に手を組み、仕事を再開するのだ。 錺職人の秀と勇次が初めてまみえたのも、それが機縁だった。 続
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