秀、除夜の鐘をきく
年の瀬の押し迫った市中は誰もかれもがせわしなく見える。 青物や魚や餅そのほか色んな物売りが、寒空のもと白い息を立ち上らせながら売り声を響かせるのが、狭い路地からも聞こえてくる。 ひとつでも多く品を売りさばいて、身も心も温かな正月を迎える足しにしたいという思いは誰も同じだ。 秀は両脇に厚手の羽織の袖を掻い込むようにして首を縮め、粉雪のちらつく師走の町を歩いていた。 大通りの両側に並ぶ店先は、ぎりぎりまで正月の支度を求める多くの客でにぎわっている。 きょろきょろよそ見しながらの者も一人や二人じゃなく、何度となく足を踏まれかけたり肩をぶつけられたりした。 ついさっき出て来たばかりの長屋のかみさんたちも殺気立っていた。借りた金の催促にぴりぴり神経を尖らせてるのもいれば、 このままじゃ年が越せやしないよと亭主と大喧嘩になってるのもいる。が、皆ひとの事など気にかける余裕もないのか、 誰も騒ぎを聞いて覗きに来たり止めに来る者もいない。しばらくして雪の降るなか、亭主がどこかに飛び出していった。 金を借りる算段に出かけたのだろう。 ただいつものように日が暮れて次の朝を迎えるだけのことなのに、 それが正月というだけでこんなにも世の中全体が躍起になって動いている。 秀はといえば独り身の気楽さ、同じ時間に起きて残りご飯で雑炊の朝飯を済ませ、普段通りに作業机にむかっていたのだ。 年末のすす払いも昨日までに終わらせてしまっていた。 といってもせいぜい、ものの少ない家のなかの埃を軽く払って床と土間を履き清めるくらいのものだ。 あとは小さなかまどのすすをザっと落とすと灰を綺麗に掻きだして捨ててしまい、あらたな焚き物を籠一杯にした。 たまっていた洗濯物も、晴れが続いたここ数日のうちにまとめて片付けた。 一度細工に集中すればそれ以外は無精になる秀にしては、今年は早々と年を迎える準備が済んでしまった。 隣の加代は、このところ毎日貸した小金の取り立てに出たっきり日暮れまで戻ってこない。おかげで邪魔が入らず仕事がはかどる。 昼八つの太鼓の音でようやく我に返った秀は、勇次との約束を思い出して慌てて腰を上げた。 今日は一緒に歳の市に行くことにしていたのだ。 「まだすす払いやってたのか」 秀が裏に回ると、勇次が襷掛けして絞った雑巾や桶を片付けているところに出くわした。 「ああ。何かとやって来る客が絶えなくってな」 終わったところだと勇次は言ったが、 開け放した勝手口から上がりかまちに掛け紙や風呂敷に包まれた差し入れがいくつか置いてあるのが見えた。 「・・・。おめぇは食うものと女には一生不自由しねぇな」 勇次は秀の視線の先を振り返り、にやりと口の端で笑って答えた。 「さあ。一生かどうかは分からねぇよ。持って来てくれるうちは有難く貰っておくさ」 そして襷を外すと、手をあっためさせてくれと言って、秀の裾の長い羽織の内側にそっと凍えた両手を差し込んできた。 「っ・・・」 冷たさが布越しにも伝わり、ぞくっと秀が身震いする。が、身は引かなかった。ふたりの白い息が一寸重なる。 「・・・市、行くんだろ」 「ああ。羽織をとって来る」 勇次が出てくるのを待つ間、秀は雪雲を見上げながら、これはあいつに黙っていようと思った。 歳の市に一度も行ったことがないとは。 江戸市中では年の瀬に、しめ飾りや熊手や羽子板など正月準備に欠かせない品々を売る歳の市が立つ。 深川八幡を皮切りに、浅草観音、神田明神、愛宕神社、平河、湯島天神を巡り、 最後は東日本橋の薬研堀不動尊で納められる。それだから特に薬研堀の市は「納めの歳の市」と呼ばれていっそうの賑わいをみせる。 長提灯がずらりと下がる不動尊の門前からして石段も見えないほどの混雑ようで、人混みの苦手な秀はそれだけでげんなりした。 参詣人を当て込んだ正月の飾り物や日用品を商う露店が両端に並んでいるが、あまりの混雑に道の先も見えないほどだ。 「品より人を見に来たみてぇだな」 秀が呟くと、 「羽子板を買いに来る芸者衆を見に来るって輩も多いからな」 隣で答えた勇次の目は、小僧を従えた紫頭巾の女の立ち姿を見送っていて、秀をなんとなくもやっとさせる。 まず目に付いた羽子板を扱う露店の前には、勇次の言うように艶やかな女や親子連れの町娘に混ざって男たちの姿もあった。 正月飾りに日用品、居並ぶ店の扱う品はどこも似たりよったりなのに、 それでもどこの店のものが一番いいか安いかをそれぞれが鵜の目鷹の目で品定めしている。 勇次はその独特の熱気を愉しんでいるようだ。 どうやら人の波に乗って歩いてゆく以外になさそうで、二人は流れに逆らわず雑踏に分け入った。 「勇次。おめぇ何か買うものは決めてるのか?」 いまさらだが思いついて秀が訊くと、 「いや。特に目当てはねぇが」 「何だよ、買うものも無ぇのに誘ったのか?」 てっきり手伝いを頼まれたのかと思っていたのだ。 呆れて声を上げたが、襟巻に埋まった白い横顔は秀がそう言うだろうとはじめから分かっていたように澄ましていた。 「ただ、おめぇと来てみたかっただけさ」 黙っているはずのことを先回りして見抜かれた気がして、秀は自分の襟巻の陰でわずかに動揺した。 「・・・意味が分からねぇ」 「まあ、そう言わずつき合えよ。せっかくだから熊手でも見よう」 勇次が笑って秀の背中を押した。大小さまざまな大きさと飾りつけの施された熊手を扱う露店の前に来ていた。 「兄さん、最後だから安くしとくよ。こいつはどうだい?」 すかさず店番の男が指さしたそれは、一抱えもあるどでかいものだ。 熊手は地域によっては“かっこめ”との俗称でも呼ばれている。 商いをする者にとっては客を掻き寄せるという意味を持つと同時に、福をも“かっこむ”意から 縁起物の飾りとしては人気が高く、家庭用の小さいほうはほとんどが売り切れていた。 勧められた飾る場所に困りそうなそれを見た勇次が、苦笑して首を横に振る。 「そいつはいくら何でも大きすぎるぜ。これくらいでうちの店にはちょうどいいや」 三つ隣に並んでいたものを指さす。 大きな店や妓楼用か、派手で豪奢な飾りつけのものもあったが、 新鮮な松の枝と紅白の切り紙で飾ってあるそれは、すっきりとして大きさも手頃だ。 勇次はかたわらでじろじろと熊手を見比べていた秀をかえりみた。 「おめぇは。どれにする?秀」 訊かれて秀は他人事みたいにきょとんとした。 「え?俺は要らねぇよ、こんなもの」 店の男がしげしげと熊手を見ていた秀に、よほど熱心に品定めをしているのだと思っていたとみえ、ムウッとした渋面になった。 「なんでぇ、そっちの兄さんはずいぶんと剣呑だな。さんざ冷やかしておいて人の売り物をこんなものたぁ」 売り言葉に秀が即座に反応する。 「馬鹿にして言ったんじゃねぇよ。要らねぇからそう言ったまでだぜ。剣呑はどっちだ」 「なんだとこの・・・」 慌ただしさと最後の市とあってただでさえ気が立っている露天商は、気の強い秀と真っ向から睨み合いになりかけたが、 「おいおい。ふたりとも止さねぇか」 勇次がすかさず割って入る。 「縁起物を前にしてつまらねぇことで言い合ってちゃ、来年の福が逃げちまうぜ」 切れ長の目で双方を交互に顧みられると、どっちも鼻白んで身を引くしかなくなった。 「ま、たしかに言われてみりゃそうだが」 男が決まり悪げにほっかむりした頭を掻けば、秀のほうもそうムキになることもなかったとちょっぴり反省した。 熊手が思っていたより華やかで飾りつけもとりどりだったので、本当はそれが面白くて見とれていたのだ。 「えーと・・・。俺もやっぱり買う。悪かったな、とっつぁん。これ飾ってりゃ一年商売繁盛なんだろ?」 同じものを指さして秀が言うと、男は寒さで赤くした顔をさらにパッと紅潮させて、おお、あたぼうよと威勢よく請け合った。 勇次が隣で隠れてちょっと笑ったのは、見て見ないふりをした。 それぞれ手にしたお揃いの熊手を持って、ふたりはなおも市を見て回った。 途中、勇次が店先を飾るしめ飾りを買い求め、秀が隣人のよしみで加代にほんの小さなお土産を買ったら、 買い物は済んでしまった。それでも厚着をした人いきれの中を歩くだけで結構な時間が経つものだ。 時々食い物を商う屋台も湯気を上げていて、醤油の香りを嗅ぎつけた秀の腹がキュッと締め付けられた。 寒いと体温を奪われるせいか、妙に腹が空く。 「なぁ、勇次。なんか食わねぇか」 秀がよそ見をしている勇次の袖を引いて訊ねると、 「オレもそう思ってたよ」 何にする、と訊かれて秀が指さしたのは、大鍋からしきりに沸き上がる湯気の屋台だった。 「あれがいい」 小石ほどの大きさに丸めた玉こんにゃくを団子のように数個ずつ串に刺したものを、ぎっしりと大鍋に並べて出汁で煮込んでいる。 もともと江戸以北の極寒の土地で食べられているもので、秀は以前裏の仕事で出羽に出向いたときにはじめて口にした。 あちらでは冬と言わず常食され、茶店にも必ずといって品書きにあったものを江戸で見つけ、久しぶりに食べてみたくなったのだ。 「おやじ、二串くれ」 へぇと答えて白髪頭の小柄な親父が、四つずつ刺さった串に溶いた芥子を付けて熱々を手渡してくれた。 味などすぐに分からないほどに冷えた歯に沁みる熱さが、寒さをより際立たせる。 「酒が欲しくなるな」 ひとくち齧った勇次が呟き、おやじに熱いのをつけてくれと頼む。他にも飲んでいる男たちもいたせいか、 竹の節を切っただけの杯にすでに熱くしてあった酒を入れたのが、小さな酒樽の上に即座に出てきた。 「旨い」 「うめぇ」 ふたりは同時に言って思わず顔を見合わせた。するめの出汁と醤油の煮汁がよく滲みている。 多めにつけられた芥子が鼻の奥にツンとくるところに竹の香りの移った酒を含めば、 胃の腑に下ってゆく熱い液体で芯からあったまるようだ。 「懐かしいな」 秀が軽い酔いと内側からの熱で薄く染まった頬を緩めているのを横目で見て、勇次が言った。 「珍しいな」 「何が?」 「おめぇが喜ぶのがさ。いつもは食いものにほとんど興味がなさそうだからな」 「・・・・・」 無言でこんにゃくを噛みながら、そうだったかなと考えた。 勇次とたまに過ごす夜には、外食のときもあれば勇次の家で酒を飲むときもある。 遊び慣れた男だから当然いろんな旨いものを知っていて、簡単でも気の利いた酒肴を出してくれたりする。 秀はたしかに、それにたいして関心を払っていなかった。 しかしそれは食いものに興味がないわけではなく、目の前にいる男に意識が向いていたということなのだ。 そんなことを口にするつもりはないが、せっかく用意してくれている勇次への誤解は解いておきたくて、 手にした竹筒を覗き込んだまま秀はぼそっと答えた。 「・・・そんなことはねぇ。俺だって旨ぇもんは好きだ。ただ、いつもおめぇに任せてるってだけで」 帰りは少しずつ雪の量が増えてきていた。ひどくなる前に家に戻りたい。 傘を持たずに来たふたりは、来た時よりも急ぎ足でそれぞれの帰路につく別れの辻まで辿りついた。 「じゃぁな」 ちらっと上目遣いに勇次の顔を見やると、うっすらと染まる白い瞼がなまめかしくドキリとする。 まさかあれしきの酒で酔ったわけでもあるまいが、秀自身どこかふわふわと浮き立つような酔いが体にまわっていた。 「―――秀。大晦日には泊まりに来いよ」 踵を返しかける秀を呼び止めて、勇次が襟巻の中から言った。 秀は何度かまばたきをした後、わざとらしく「え?」と訊き返した。そんなことを言われるとはさすがに思ってもみなかった。 「いいって、俺のことは気にしねぇでくれ」 熱くなった頬を気づかれまいと向こうを見たまま秀はそっけなく言い放ったが、勇次の一言で足が止まった。 「おめぇは気にしなくたって、オレが気になる」 秀は無言で髪に降りかかる雪を払った。勇次が軽く笑いを含んだ声でもう一度言った。 「秀。オレに任せるなら、また旨いものを用意しておくぜ」 「・・・わかった」 最後まで顔を合わせられず、雪の中を足早に秀は歩き出した。背中で雪を踏みしめ遠ざかる下駄の音がかすかに聴こえていた。 勇次がなんの気まぐれか、歳の市に行こうと約束を取り付けてきたときから、秀の困惑は始まっていたのだ。 これまで、月に一度か二度密かに会っては裏の仕事とは無縁の関係に浸るようになってからも、 その目的以外に勇次が秀を誘ってきたことはなかった。 ふたりで過ごす時間のなか、少しずつ互いの性格や会話の調子もつかめてきて、 寝る以外のひとときも増えてきていたのは確かだが。 それぞれが独立した暗殺術を持つ仕事人同士、本来ならばおつとめで一時的な仲間になるだけの関係に過ぎない。 またそれ以上の深い介入は無意識に避けようとするのが、この世界の定石である。 いくら長屋で隣同士に住んでいるからと、加代と秀が日常生活においてそう付き合いをしないのもそのせいだ。 表面上はなんでも屋を営みながら裏稼業では情報屋の加代と、 ひとりはすぐに繋ぎが取れる仲間がいるといいという八丁堀の提言もあって、偶然を装い同じ長屋にそれぞれ住み込んでいる。 加代の開けっ広げな性格もあって、時おり嵐のように押しかけてきては愚痴やら世話話などを聞かせてくるが、 それとても半分近くは周囲をたばかる演技も含まれていることを、 ときおりキラリと光る猫のような加代の目の底に秀は読み取っていた。 (俺としたことが・・・。余計な気を向けちまった) あらたに仲間となった三味線屋には、 出遭った最初から他の仕事人には抱いたことのなかった、個人的な興味のようなものを感じた。 なんの興味なのかは分からない。これまで組んできた仕事人たちのなかでは、一番自分と年が近いせいもあっただろうか。 ただあの静かに落ち着き払った色男は、いかにも非情で如才なく秀の抱える葛藤などとは無縁に思え、 それが秀をして勇次への風当たりの強さに表れていた。 その頃の秀は、表と裏稼業の両立がこれまでにないほど精神的にきつくなっていた。 今から数年前、秀が八丁堀とはじめて出会って、紆余曲折ののちに自ら仕事の仲間に入れてくれないかと頼んだ時とは、 仕事人という裏稼業に対する秀の意識は大きく変化していた。 あのとき八丁堀は言った。いままでおめぇのしてきたのは仕事じゃねぇと。 仕事というのは、血を沸き立たせ己のなかにある修羅をドッと吐き出すことで一時的な解放を得るというような、 かつての向こうっ気ばかりが強かった秀の求めているようなものを満たすことではない。 『ほんとの仕事はいつだってこんなふうに苦ぇもんだ・・・』 そんな言葉を言われたのはあの男がはじめてだった。 だから秀は、そのほんとの仕事人とやらになってみようじゃないかと、後先もろくに考えずに仲間に加えてくれるよう頼んでいたのだった。 『かわいそうなやつだな。おめぇもロクな死に方は出来ねぇや』 なんと言われても、その当時はあまりにも若すぎた秀にはその言わんとする意味が理解できなかった。 それが―――。 時おりの刺激欲しさ金欲しさに裏稼業を腰かけ同然に思っていたときと違い、 市中で将棋所を営む裏では数十年この稼業を続けてきた元締め、鹿蔵を通じて持ち込まれる仕事が、 その内容の凄惨さと数の多さではこれまでの比ではないと気づいたときにはもう遅かった。 金を貰って恨みを晴らす人殺しの依頼が、これほどに絶えないとは想像もしていなかった。 少しずつ、その異常さは秀自身から人間らしさを奪い、無感覚に悪人の首に簪を突き立てることに迷いがなくなってゆく。 それに時おり気づくたびに、秀は自分が恐ろしくなった。 一度は鹿蔵の失踪と共に解散したはずの仲間たちが、避けられない因果に引き寄せられるように再び集まった。 秀は八丁堀と情報屋の加代、そして新たに加わった三味線屋のおりく及びその息子勇次と、 仕事を再開することになる。 結局は自分の意思でその道を選んだにも関わらず、秀のなかではどうしようもない葛藤が渦巻いたままだった。 金を貰って人を殺す。 金を貰ってまた人を殺す。これが自分の望んだことなのか、これが自分の生きている意味なのかと自問してみても、 誰一人答えを教えてくれる者などいない。 何度となく思い詰め、いっそ命を絶つ方が楽ではないかと考えていた矢先、 若い男という点では仲間内でもっとも自分と近い勇次から、ある誘いを持ち掛けられたのだった。 どうやら勇次は、秀の煩悶を薄々感じ取っていたようだ。 一度オレにおめぇを任せてみねぇか。そんな調子じゃいつオレたちまで側杖を食うか知れねぇ、と。 お前の事情に巻き込むなと突き放しておきながら、その沼から脱け出す為に手を貸そうというのか。 一聴して矛盾する勇次の申し出を突っぱねようとしたものの、 実際には撥ね退ける気力も奮えないまでに、己が危険な状態にあることを秀自身自覚していた。 イチかバチか毒で毒を制する意味で、同じ闇に身を置く男にこの昏い葛藤をぶつけてみるしかないと思ったのだ。 溺れかけたものが、投げ込まれた得体の知れない浮きに必死にしがみつくようにして、 秀はなんとか最悪の状態を脱することが出来た。 ふたりの仲はそれ以来だ。 ある一時期、秀が危うい状況から立ち直るまでの関係かと思っていた。 しかしそれはつかず離れずの距離を保ったまま、今のいままで続いている。 そして年の瀬も迫った頃になって、勇次が今年の歳の市に行こうと誘ってきたのだった。 果たしていいものかとぎりぎりまで迷いつつ、秀は結局、一方的に出されたはずの約束を守るべく師走の町を急いだ。 勇次が特に目当ての買い物もなく、ただ自分と行くためだけに声を掛けたのだと知って、秀の胸の動揺はさらに強まった。 それでも―――。人混みに揉まれて他愛ない会話をしながら店先を冷やかし、 屋台で立ち食いをしたというただそれだけのことが、秀にとっては新鮮で心から愉しかったのだ。 あくまで仕事仲間として立ち直りに手を貸してくれたはずの男に恋をするなんて無駄なことだと、自分に何度も言い聞かせてはいる。 以前とは違う葛藤をまた胸に抱え込みながら、勇次と別れ際に交わした約束を頭から追いやることの出来ない秀だった。 続
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