勇次、秘密を知る

(※性描写一部有り)









「…っ……んっ、ぁ…っ…」
 背後からの抽送が速くなると、秀は両腕のあいだに突っ伏していた頭を持ち上げ、ちらと流し目で振り返った。
「あ…は…っ…。ゆ、、じ…」
 綺麗に浮きだす背骨に沿って舌を這わせながら上がり、首の付け根に軽く歯を立てる。 汗に濡れた胸が同じく濡れた秀の背にぴたりと重なった。前に回した腕で体を抱き込み、交合を深く固定させて揺すり立てる。
 片方の手では秀の牡を可愛がっていて、 後ろから圧されるたびに先から零れて止まらない液を全体に塗りつけるようにぬるぬると擦り続けていた。 緩急つけた前と後ろの両方から起つ淫猥な音が大きくなり、勇次をきつく締め付け感極まりかけている秀も、 子犬のように喉を鳴らして腰を振り始めた。
 操られた手で勇次の肌をまさぐり、ときには自ら上になって喉をのけ反らせる。これは本来の秀ではない。 好むと好まざるとに拘わらず、秀のなかに巣食う女がさせていることだ。 分かっていて、そうと己に言い聞かせていても、すすり泣いて悦びを訴える秀に愛しさを感じずにはいられない。
「ひで……秀」
「ゆ、勇次…」
 互いに名を呼び合い昇りつめる。この快感はただ体だけのものなのか。あの男の言うように、たとえば心を切り離して抱き合った としても、いま感じているのと変わらない充足に満たされるだろうか。




 潮の香が漂う朝日の当たる道を、ふたりは連れ立って歩いている。やはり昨夜のムリが響いているのか、 あまり軽いとは言えない秀の足取りが、さっきから勇次は気になっている。
 この世ならざるものを祓うという按摩に、今日会いに行くと云って重い腰を上げたのは秀のほうだった。にも拘わらず、 いつにも増して口数は少なく、やつれた横顔で潮風に癖のある髪をなびかせていた。
「秀よ。おめぇきついんじゃねぇのか?少し休んでいこうぜ」
 勇次が尋ねるが、秀は伏し目がちにこちらに顔を傾けただけで、いい、とまた歩きだす。少し先を 行きかけて、
「…すまねぇ、勇次」
小さく口にした。
「元はと云や、俺の自業自得でこうなったのが、結局おめぇまで巻き込むことになっちまった」
「いまさら水くせぇことを言うなよ」
 勇次は打ち消すように言葉をかぶせる。痩せた背中がひどく儚く見えたことに不安を覚えたというのもあるが、 同時に勇次自身の迷いを振り切るためでもあった。
 秀に憑りついて内側に潜んでいる女はよほど強い因業の主だとみえ、 それにのっとられると秀は身も世もなく勇次を欲しがった。ご禁制の麻薬にも似た中毒性のある快楽に淫しながらも、 あれ以来勇次は、秀を求めることにどこか後ろめたさを覚えていた。
『あいつはな。誰かに惚れちゃいけねぇんだ。それがあいつのためなのさ…。会うんなら肌を合わせるだけにしておいてやりな』
 まずは秀を元に戻さないことには、あの男に放り込まれた袋小路からも抜け出せない。
「…とにかくこのままじゃ、お互い命にかかわる」
 勇次が呟くと、秀にしてははすっぱな応えが返ってきた。
「まったくだ。野郎同士で腹上死なんざ、誰も見たくねぇよな」




 按摩の住まいは、通りすがりの岸辺で小エビ獲りの網を手繰っていた漁師に訊くと、 すぐに教えてくれた。近くの村の庄屋がしぶとい腰痛持ちで、数年前から呼ばれて通ううちすっかりこの地が気に入り、 暖かい時期から初夏にかけては、住む人のなくなった漁師小屋で寝起きしているとのことだ。
「あの按摩ァ、ああ見えて実は柔(やわら)の達人だって、噂があるぜ」
 按摩の腕がいいと聞いて探しに来たと勇次が説明すると、特に訝ることもなくのんびりした声で漁師がおまけのように付け加えた。 秀と勇次はちらと目を合わせる。八丁堀の旧知といっても、友人というわけでもなさそうな きな臭いものが漂った。漁師の指さした、河岸の回り込んだ向こう側に見えている小屋を目指しつつ、
「…その按摩とは、おめぇ直接会ったことはあるのか…?」
 勇次が何気ないふうを装って秀に訊ねる。吹き付ける風の音で聞こえなかったふりをして、秀はうっとおしく頬にかかる髪を掻き上げた。 腹のなかでは、漁師に礼を言って歩き始めた瞬間、いまの今まで忘れ去っていたある記憶が突如として蘇ったことに、 思わず足が止まりそうになるほど驚いていた。
 ずっと昔、まだ秀が少年のころ一、二度会っただけの盲目の僧形の男のことをなぜ覚えていたのか。
 かつて秀が短い期間、共に暮らした男のもとを訪れていた二本差しが、腕のいい按摩だぜと あるとき連れて来たのだ。男の腰や肩などが張るなどこれまで聞いたこともなかったから、それが不思議で記憶に残っていたとばかり 思っていた。三人の男たちはそれぞれ錺り職人、侍、按摩と職業こそ違えど、 どこか似通った暗い陰りを、馴れ合いを拒絶する厳しい背中を持っていることを、少年の秀はぼんやりと肌で感じていた。
 いま思えば、連中は別の線で繋がる仲間同士だったのだ。そしてそれが真実であることは、秀自身が後日、直接目撃したとおりだった。 その時の情景は切れ切れの映像でしか思い浮かばない。前後の出来事が曖昧だったり、やたらと同じ場面ばかりが繰り返されたりする。 秀のなかでは行雲坊もその場にいたことが、なぜかすっぽりと抜け落ちていたのだった。
(・・・・・・・・・)
 すべての記憶を小箱に閉じ込めて鍵をかけ、その鍵の在りかも忘れかけていた。それが唯一の、秀が己を守り生き抜く術(すべ)だった。 忘れろと、まじないの様に秀に吹き込んだのは、あの侍だ。
 ……自ら蓋を開ける日が来るとは。




 行雲坊は、遅い朝餉を始めるところだった。隙間だらけの粗末な戸口を叩いて訪ないを入れる間もなく、 お入りと掠れた高い声がした。気配でそうと分かるのか、開いたまま見えない目を土間のほうに向けると、
「三人…いや、お二人さんですかい」
板戸を引いた秀に声を掛けた。
「あ…。朝飯のとこにお邪魔しちまって…」
 秀が珍しくおどおどした声で恐縮した。気おくれしているのだと勇次は妙に腰の引けている背中を見て思った。
「構いませんですよ。むさくるしいところですがどうぞ上がってください」
「い、いや、ここで…」
 土間に立ちすくんだまま秀が遠慮するが、僧形のその老人はひっひっ…と喉の奥が引き攣るような声で嗤った。
「お若い方がこの老いぼれに何の用あってお訪ねなのか…。まさか按摩の御用じゃぁござんせんね」
秀と勇次は思わず顔を見合わせた。やや間を置いて、秀が低い声で答えた。
「そう…です。あっしは錺り職人の…ひ、秀といいやす。こっちは…俺の連れで、勇次っていう三味の張替え屋で」
 勇次は無言で会釈した。外の気配で来客の人数を当てられるならば、わざわざ声に出して挨拶しなくとも分かるはずだ。 この男は飄然としながらそう思わせる凄みのようなものが感じられる。
「……折り入って頼みごとがあって参じやした。じつはその…。俺に憑りついてる、妙なものを祓ってもらいたくッて」
「憑りついてる?」
 掠れた声から笑いの要素が消えた。的確に秀のほうに目を向けている。秀が半纏の腕をさすり、寒気を抑え込む仕草をした。
「…ほう。それはさぞお困りでしょ。ま、あんたがたも上がンなさい。あたしも失礼して食事させて貰いますよ」
 鳥の骨みたいに痩せた小さな体に、古びて黄みがかかった白っぽい単衣を着ているから年寄りに見えたが、 本当は見た目より若いのかもしれない。 粗末な膳のまえに胡坐をかいた裾から覗く毛ずねは、黒い毛が密集していた。向かい合わせに並んで座りながら横目で見ると、 秀が按摩の顔を直視できずにいることに勇次は気づいた。
「たしかにあたしは按摩の他に副業を持ってますが、一体どこのどなたさんからそれをお聞きなすった?」
 雑炊をすすりながら行雲坊が訊いた。痩せ細った体にふさわしく鶏の首を絞めたような声だが、言葉は如才がない。 何気ないふうにしながら、どこにも隙がないこの按摩がやけに大きく見えて、勇次の背筋に緊張が奔る。それは隣に座る秀も 同じのようだ。
「八ちょ…いや…、中村主水…って定回りのお侍ぇから話を聞きやした。その、俺が住んでる長屋に立ち寄るんで…」
 秀がぎこちなく口火を切る。八丁堀との関わりを誤魔化すためか、訊かれてもいない説明で自ら口を滑らせている。 按摩は箸を手繰る手を止めて、しばらく秀のほうに頭を傾け何事かを探るように沈黙したが、
「へぇ。中村主水といえば八丁堀の…。これはまた懐かしい名前を聞いたものです」
「……」
「ここ数年はもうそっちの仕事はしないと決めていたんですがねぇ。まさか中村の旦那からのご紹介とは…」
「……」
「いいでしょう。これもまた何かの因縁。あたしの手に負えるものか分からねぇが、あんたがたの話を聞くことにしましょうかねぇ」
 何かの縁ではなく、わざわざ因縁と男は言った。勇次は余計な説明の要らない話の早さにとりあえずはホッとすると同時に、 八丁堀とこの盲目の按摩…兼不可思議な副業を持つ男の背後関係を想像せずにはいられなかった。
「ありがてぇ」
 秀がぽつりと一言言って頭を軽く下げる。雑炊の最後を喉に流し込み、 まるで見えているように箸でつまみ上げた焼いた目ざしを噛みつつ、男はひっひっ…と苦し気に嗤った。
「ありがたがるのはまだ早い。あんた、どこの因縁を拾ってきたんだね」
「…さぁ。それがよく分からねぇんで。…ひとつ身に覚えがあるっていや、しばらく前に川原の土手草のなかで、野ざらしに けつまづいたことくれぇで…」
「ひっ!ひっひっ…野ざらしねぇ。どおりで……。奇麗な着物を着た髪の長い女が、 さっきからあんたと重なって視えていやすぜ」
 ふたりは同時に顔をあげ、薄笑いを浮かべて湯呑を啜っている行雲坊を注視した。戸口で三人と言われたことを思い出し、背すじが ゾッとした。
 やはり思い込みではなかった。本当だった…。秀も勇次も口には出さずにいたが、 それが万に一つでも思い込みに過ぎないのではという疑念を、まだ取り去っていなかったのだ。 互いへの執着を勝手に女の幽鬼のせいにして、それを口実にしがみつき合っているのではないのかと…。
 目を合わすことはなかったが、全身に不快な冷や汗が滲んでくるのをそれぞれが感じていた。





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