業  〜 鳥 籠 4 〜







 その後10日過ぎても、八丁堀の訪れはなかった。そのあいだ秀の身の上に、ある事件が 起きた。それは秀が自室に居たときのことだ。
 いつもなら依頼の品を手掛けているところが、その日の秀は わずかな荷物を入れてきた行李を開け、一番底に隠してあったものを取り出していた。
 布にくるまれたそれは、例の簪だった。秀にしか使うことの出来ない…。 もう二度と手にしないと決めていたのに、八丁堀に 逆に「オレを殺りたくなるときのために持っておけよ」とむりやりに押し付けられ、 そのまましまい込んでいたものだ。
 布を開いて久しぶりに見るそれは一点の曇りもない。それ自体が意思を持ち、主が手に取る日を待っていたかのように、 妖しい艶を湛えて隅々まで鋭利に輝いていた。
「・・・・・」
 しばしためらったあとで、つまみ上げたそれをそっと唇に咥えてみる。硬質な冷たさが伝わり、 多くの悪党の頸部を貫通したその生々しい感触に、思わず背筋を震わせたそのとき。
 きぁっ!!と幼い悲鳴が背後で聞こえ、秀は弾かれたように振り向いた。
「おつぎちゃん!?」
台所から土間へと駆け下り、裸足で声のした外へと飛び出す。
「!!」
 少女はニキビ跡をまだ頬に残した若い男に片手で羽交い絞めにされていた。残りの二人はにやにやと笑いながら、 血相変えた秀が立ちすくむのを見ている。
「おっと。近づくんじゃねぇよ」
 秀が迷わずおつぎに近づこうとするのを、二人がスっと前に出て阻んだ。
「あのガキがケガするぜ」
 よく見れば、おつぎを捕えた男の手には小さな小柄が握られていた。ほんの脅しのつもりだろうが、 少女を怯えさせるにはその小さな刃で十分で、おつぎは羽交い絞めしている腕の隙間から、こぼれんばかりに目を 剥いたまま恐怖に凍り付いていた。
「…おめぇたち、こんな小さな女の子によくもそんな真似が出来るな」
 秀の低く押し殺すような声に三人はややたじろいだが、前に出たひとりがすぐににやけた顔で揶揄った。
「あれ? 可愛い声なのかと思ってたら、ふつうに野郎の声じゃねぇか」
「その声で旦那の名も呼ぶのかい?」
 並んだもう一人の男の言葉に、三人が揃って爆笑する。秀の黒目がちな瞳の底に、激しい怒りの色が浮かぶ。 しかし秀はその動揺を抑え込むと、つとめて平静に振る舞おうとした。
「…用があるのは俺なんだろ。その子は関係ねぇなら、放してやってくれ」
「へぇ。やけに聞き分けがいいんだな。おれ達の用が何かわかって言ってんのかよ」
 おつぎを捕えているにきび面が下卑た視線を秀の顔やからだに当てながら尋ねる。同じようにいやらしい目で 秀を見ていたひとりがすぐさま応じた。
「むしろ待ってたりしてな」
 哄笑のなかにも、ぎらぎらした欲望が見え隠れする。こいつら三人を殴り倒したいという衝動が秀のなかで 膨れ上がっている。農民や鍛冶屋とはいえ、日常的に鍛えられた頑丈そうな体躯をした若者たちばかりだ。 とっさに懐にしまい込んできた簪を使うわけにはいかないが、久々に派手に暴れてみたい気がした。 しかしまずは、おつぎを連中から引き離さないことにはどうにもならない。
「言うとおりにするから、はやくその子を放せよ」
 もう一度秀が繰り返すと、ちらと前のふたりが目を見かわして頷き合う。しかしにきび面がそのとき小賢しい入れ知恵をした。
「待てよ。こいつを逃がしちゃ、すぐ爺さんを呼んで来るだろうが」
 おつぎが源吉の孫だということも分かっているのだ。秀の目に再び剣呑な光が宿る。
「それもそうだな。どうする?」
「一緒に連れ込むか」
「やめろ!」
秀が鋭くさえぎった。
「この子を巻き込むのはやめてくれ。なんでもする。…頼む」
 自分になついている幼いおつぎに、男たちがしようとしていることを見られるのだけは耐え難かった。
「お願いだ。この子は何も知らないんだ」
「…だってよ。どうする?」
「それじゃまぁ、終わるまで納屋にでも押し込んでおくか」
 必死さが声音から伝わったのか、それとも村の古老でもある源吉に遠慮したのか、与太者たちはそこだけは 秀の嘆願を聞き入れた。おつぎを庵の裏手にある小さな納屋に押し込めると、声を出すんじゃねぇぞと刃物をちらつかせて 脅したうえで、外からしか開かないようにする。戸が閉まる直前まで、震えながらも秀を懸命に見上げていたおつぎに、 安心しろというように秀はニコリと笑って頷いてみせた。
「あんたが下手に暴れたら、ガキも痛い目をみるってことを忘れねぇでくれよ」
「…」
 馴れ馴れしく肩に手をかけて顔を覗き込む相手の目を、じっと見据える。自分でも不思議なほど冷静だった。 これから起こることに対して既視感すらあった。今度は相手が三人だが、鬼に抱かれる恐怖と憎しみよりも、 気持ちのうえではマシかもしれない。ただの拷問に遭わされていると思えばいいのだ。
「ここんとこ、旦那を見かけねぇよな。…さては飽きられたかな」
「代わりにおれ達がたっぷり慰めてやるよ」
「おい。ひとりずつ交代で見張りをしようぜ。旦那が急に気が向いてやって来た日には、こっちの命が無ぇ」
 囲い主の二本差しの登場を恐れつつも、おつぎを人質にとっているという強みのせいか、男たちは秀を犯すことには 躊躇するそぶりもなかった。
「いい思いをさせてやるんだ。あんたも旦那には黙ってるんだな。…あのガキにもしっかり口止めを頼むぜ」
 卑しい顔つきに似ず、なかなか根回しのいいニキビ面が耳元に熱い息を吹きかけて囁く。
「…わかってる」
 無表情に秀は応じ、男たちに囲まれて家のなかに入っていった。


「見ろよ。簪を懐に入れてやがる」
 裸に剥かれたとき、音を立てて滑り落ちたそれをひとりが見つけて笑い声を上げた。
「まさかあんたの髪には挿せねぇだろが。こいつも旦那から貰ったのかい?」
 からかってにやつきながら拾い上げようとする男に、
「そうだぜ」
秀が熱の籠らない低い声で嘲るように応じた。
「そいつには触らねぇほうがいい…。旦那からの預かりものだからな。失くしちゃおめぇたちの命は無いぜ…」
「・・・・・」
 男たちは薄気味悪そうに互いの顔を見合わせる。拾うかわりにひとりが舌打ちして、部屋の隅にそれを蹴り飛ばした。 シャランと板飾りが音を立てて転がった。畳に頭を押し付けられながら、秀はただひたすら己の分身である その簪のことだけ、考えていようと思った。




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