節 分









 家の外に出て、夜なべでこっそり作っておいた鬼の面を着ける。 面を身にまとう久しぶりの感触のせいなのか、封印していた古い記憶が秀の脳裏によみがえった。
 お民と同じくらいの年頃には、越後の旅芸人の元で軽業を仕込まれていた。 獅子頭(ししがしら)をかぶり、鶏の尾をつけた衣服を着た子供が二、三人で芸人の笛や太鼓の音につれて踊り回り、 とんぼ返りや逆立ちなどの技を見せる。 季節の祭礼時や正月は稼ぎ時で、休む間もなく辻から辻、町から町を舞い歩かされた。
 角兵衛獅子は災いを除くおめでたい舞というのが芸人の切口上だったが、 自分たちの災いは誰が除いてくれるんだろうと、幼いながら秀は疑問に思った。 わずかな食物とねぐらのために殴られながら祝いの芸を仕込まれる汚い子どもになんか、福の神は見向きもしない。
 長じてひとり立ち出来るようになってもずっと節句や年中行事を敬遠していたのは、 あの時代が尾を引いていたのかも知れない。 思えば、危険をかえりみずにお民を手元に置いたのも、孤児が落ちゆく未来を我が事として見通していたからだった。
(バカだな。忘れたつもりでずっと根に持ってたなんて)
 家の中でお民がはしゃいでいる。炒り豆を盛った桝を手に、勇次に掛け声を教えられているのだろう。 小鳥がさえずるような笑い声と穏やかな低い声。少しの間そのさざめきに耳を傾けてから、秀は胸の中で呟いた。
(昔なんかもうどうでもいいじゃねぇか。いまの俺には・・・あいつらがいる)
 鬼らしく唸り声をあげると、突然はじまった襲来にキャッとお民が叫んだ。 鬼の面は薄い張り子を仕立てて色を塗った凝ったもので、職人の器用さと表現力を駆使した我ながらの力作だ。 真っ青な顔に黒い目張りを入れた大きな目、牙を剥きだした真っ赤に裂けた口元、金色の額の一本角・・・。 戸口をガタガタいわせたり煙出しから覗き込んだりと脅かしてやると、
「お民、いまだ投げろっ」
 勇次が呼吸を合わせてくれたので、
「おっ・・・鬼はぁそとぉ!」
 お民が握りしめていた豆を思い切り投げつけた。バラバラッとなかなか威勢のよい音がした。
「うわぁ!このやろうっよくもやったな!」
 秀は迫真の演技で怒りだし、戸口をスパンと開けて中に踏み込もうとした。
「キャー!キャー鬼はぁそとぉ!!」
 必死で豆を投げつけるお民。ぎゃああと顔を押さえている青鬼を見て、勇次がまた軽妙に合いの手を入れてくれる。
「福はぁうちぃ」
「あははっ」
「ほらほらお民、鬼ばっかり狙っていねぇで、ちゃんと福の神も呼び込むんだよ」
「はーい、福はぁうちぃ、鬼はぁ〜そとぉ」
 こんなに楽しいことがあるなんて、と頬を真っ赤にして顔全体で笑う表情が物語っている。 厄払いの意味がよく分からなくても、大きな掛け声と同時に思い切り豆を投げる爽快さは、幼い心に刻まれたことだろう。 三人でひとしきり騒いで、多めに用意した豆をすべてまき散らしてしまった。




「あー、楽しかった」
 家の中に落ちた豆を拾いながら、お民がもう何度目とも分からない独りごとを言う。
「良かったな。これで安心して年が越せる」
「うん!お兄ちゃん、この豆どうするの?」
「食うんだよ。年の数だけ・・・」
「?」
 言葉に窮した秀のあとを引き取って、勇次が言った。
「年の数だけ豆を食べると、来年は病気せずに元気で暮らせるんだよ」
「ふぅん」
「お民は幾つ食べられる?」
 さりげなく勇次が訊いたので秀はハッとした。お民は迷うことなく答える。
「七つ」
「・・・!」
 固まっている秀の顔にチラと目を向けながら、
「ほら手を出してみな」
 勇次が手の平のうえで豆を勘定してやった。
「これだけ・・・。おじさんは幾つ?」
「ん。オレは三十・・・幾つだったかなぁ」
「ええ〜?たくさん食べられていいなぁ」
「ははは!じゃあオレのを分けよう」
「でもおじちゃんは?」
「オレは元気だから大丈夫」
 ふたりのなんでもないやり取りを眺めながら、気が抜けてぼんやりと秀は考えた。 歳を尋ねてはいけないと勝手に思い込んでいたのは自分。何かを質問して過去を思い出させるのが恐かったのだ。 お民への贖罪のあまり、自然に接するふりをしつつ腫れ物に触るように気を張っていた気がする。 腫れ物はむしろ、己の中に鎮座した恐怖という強い感情だった。
 お民を守りたい。この手で幸せにしたい。だが本当の姿を知られたらお民を二重に裏切ることになる。 手放せないのに逃げたくなる。相反する思いに苛まれ、彼女との間に踏み込ませない見えない壁を築いていた。 それがかえって、お民を不安にさせ態度の浮き沈みにも表れていたのかもしれない。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
 ハッと目を開けると、お民が膝を抱え込んだ腕に手を置いて顔を覗き込んでいた。
「え、あ・・・」
「眠ってたの?鬼さんの役で疲れたんだね。大丈夫?」
 あべこべに心配されて、秀は苦笑して首を横に振った。
「全然。おめぇたちのはなし声が心地よくってよ、うとうとしちまった」
 さっきのお転婆な態度がウソのように、お民は恥ずかしそうに微笑んだ。
「なぁ、そろそろ腹が減ったな」
「そうしよう」
 勇次が炬燵のなかから請け合う。お民のために少し大きめの炬燵を奮発したから、 大人があと一人入ってもどうにかなる。炬燵布団の上に重箱はもう乗せて温めてあった。
「手を洗ってから皿を出してくれるか、お民」
 何でもひとりでやってしまう秀に頼みごとをされて、お民は目をぱちくりさせた後で大きく頷いた。
「うん!あ、そのまえにはばかり行って来る!」




 お民が出て行くと、急に部屋のなかには沈黙が下りた。
「・・・良かったな、秀」
 背中に声をかけられて、秀は頭だけを頷かせた。傍らには外した鬼の面がある。
「その面も急ごしらえとは思えねぇ出来だ」
「・・・」
「だがどうせなら、オレが鬼役になりゃよかったな」
「なんでだよ」
 背中で問い返されて、勇次はフッと笑い答えた。
「なんでって、ここはおめぇとお民の家じゃねぇか」
 一度深く頭を項垂れさせた秀は、面を取り上げるとおもむろに顔にあてがいながら何かぽつりと言った。
「え?」
「俺は鬼だ。どこにいてもずっと死ぬまで・・・鬼のままでいる」
 少し間をおいて、勇次も静かに問う。
「オレも鬼だろう?」
「俺にとってはおめぇは福の神だ。おめぇがいたから俺はっ・・・」
 語気をやや強めて青鬼がこっちを振り向いた。愛おしい、寂しい鬼が。
「・・・外からおめぇたちの声を聞いて、なんだか安心したんだよな。 福は内、ってのはこういうことかって。大事なもんが家(うち)ん中にいて・・・鬼だけがそれを見ることが出来るんだ」
 だから鬼がいい。福を内に抱きかかえ、あらゆる厄から守れるように。
「・・・秀」
「勇次。ずっとなんて言わねぇ、ここに来たときだけは。おめぇはお民と一緒に・・・俺のために笑っててくれ」




 朝まで消えぬようくべられた火鉢の中の炭だけが、ぼんやりと周囲の闇を染めている。 その脇で重なり合うふたりの影は離れることを知らない。
 小さな衝立ひとつを隔てた向こうには、安らいだ深い寝息が聞こえている。 こんな状況下で許したことなど今まで一度もなかったのに。
「・・・ぅ・・、ふっ・・・」
 大きな手が乱れた髪をさらにまさぐり、時おり骨がきしむほどに強く掻き抱かれる。 ここにいると繰り返すように。
 勇次が動くたびに、 拳を咬み喉で嗚咽を抑えこみながら、秀は今どうしようもなく幸せだった。

愛される。愛する。
愛されている。・・・愛してる。

 どこにも居場所がないとひとりで泣いた、あの遠い日から。









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