Secret Garden 〜 epilogue







「おや、珍しいこと」
 倅が連れ立って戻ってきた相手を見て、おりくはつい、らしくない声を上げて目を瞠った。勇次が苦笑交じりに答える。
「そんなに驚くことはねぇだろ、おっかさん。そこでばったり逢ったんで連れて来ただけさ」
 秀はあまり背丈の変わらない勇次の背後に隠れるように立っていたが、 勇次が振り向いて頷くと、ちらと肩口から目の印象的な顔を覗かせた。小さく頭を下げて挨拶する。
「おりくさんに会っていけって勇次が言うんで…」
 相変わらず表情には乏しいが、誘われてのこのこ付いてきた言い訳を口ごもる秀を、おりくは笑ってさえぎった。
「逢ったって話だけ聞かされちゃ、勇さんを恨んでたよ。いいからお上がり、秀さん。ちょうどいまお茶を淹れたところさ」
「なんなら夕飯も食ってくか、秀?」
 イヤいい、と遠慮する秀と機嫌よく戯れかかる勇次との掛け合いを背中で聞きながら、 どこか気持ちにホッとしたものが広がるおりくだった。 八丁堀の都合がつかず、裏の仕事もしばらく途絶えていたというのもあったが、 一度だけ剣呑な界隈で見かけたのが最後になっていた。 たまに顔を出すなんでも屋の加代から、あの仕事のあとから秀とほとんど顔を合わせないと聞かされたことがあり、 それが気がかりだったのだ。
 ただの仕事仲間と思いつつも気にかかるのは、年の近い勇次がいるからだろうか。 如才ない倅と違って見るからに人付き合いの苦手そうなこの簪職人が、勇次に引っ張られて顔を出したことが妙に嬉しかった。
(まったく勇さんときたら。あれだけ秀のことなんか知らねぇなんて白けてたくせにさ…)
 やっぱり気には留めていたらしい。 詳しいことはなにも訊かないおりくも、秀の話をこのところパッタリと勇次から聞かなくなった辺りから、 息子の様子がやや変だと感じてはいたのだ。強いてその話題には触れないようにしているようにも思えた。 しかしいま何事もなかったかのように秀がここに来ているということは、 勇次の言った通り、懸念するほどの事件性とは関わりがなかったのだろう。 それとも、一度何気ない調子で秀を見かけた日のことを蒸し返してきた勇次が、おりくには内緒で裏で一枚噛んだものか。
(厭だねぇ。だんだん詮索好きの婆ぁになってるよ)
 おりくは苦笑して内心独りごちると、それ以上の想像は打ち止めにした。 秀がまた勇次とつき合い始めた、その事実だけで十分だろう。 まるで性格の違うこのふたりがつるんでいる様子は、不思議と自然で見るものに安心感を抱かせる。 ぶっきらぼうに振る舞っていても、秀が勇次には静かな信頼を寄せていることが伝わってくる。
 そして勇次のほうでも。 甘く微笑んでもどこか酷薄にも虚無的にも見える美貌だが、秀を見る切れ長の目元が優しく緩んでいることを、おりくは認めた。 誰に対しても決して踏み込んだ笑い方をしない息子が。それは秀が嘘のない人間だと、勇次自身が認めたからこそだろう。
(何があったか知らないけど、どうやら勇さん…。秀さんはあんたと縁の切れない相手みたいだね…)
 どんな経緯を経ていようが、またこうして共に添い、 そしていずれ裏の仕事を手掛けるときに助け合ってゆくことが出来るのならば。




「色々と世話になったな」
 勇次が戸口の手前で振り向くと、
「まったくだ」
背後についてきていたキツネが呆れ顔でぶつくさ言った。
「あんたも大したタマだぜ。いきなりやってきて、このオレに縛りを教えろなんてな」
「あんたの妙技(わざ)に興味が湧いたのさ」
 静かだが妙な威圧感のある勇次の頼みに圧されて、なぜか言いなりになってしまった。 それは腹立たしいが、しかし驚いたことにはこの男、異常な呑み込みの速さで見る間にひと通りのことは覚えてしまったのである。
「あんた。お店の奉公人じゃなかったのかよ?」
「言ってなかったか?オレはただの三味線屋だよ」
 なるほどそれで器用なはずだ、とキツネは合点がいった。 最初に手指の美しさと手入れのよさに目を留めていたのは自分だったのに。 勇次の容姿だけ見てもたしかに、三味線や小唄の師匠でもよほど客がついていそうだ。
「よう。だったらオレと組んでいっそ仕事にしねぇか? あんたのその見た目と筋の良さなら、すぐモノになる。遣わねぇでおくのは惜しいぜ」
 白い頬に薄く笑いを刻んだだけで、勇次は何も答えなかった。
「キツネ。ひとつあんたに頼みがあるんだが」
「あらたまって何だい?」
「秀がもし…またあんたを訪ねてくるようなことがあったら、そん時ゃオレに教えると約束してくれねぇか…」
「ハハッ!さすがのあんたも叔父貴に顔向け出来ねぇか?」
「いや、そうじゃねぇ。オレがいる以上、秀を他の男に嬲らせるわけにはいかねぇからな」
 キツネは細い目をやや瞠ると、淡々と凄みのある言葉を口にする横顔を注視した。まるであいつは自分のものだと宣言しているようだ。
「さあ、そりゃどうかな?オレにとってはあんたに得意客を持ち逃げされたってことになる」
 勇次がそこでちらりとキツネを振り返った。切れ長の目の奥の色になぜかキツネはぞっとなった。
「……」
 勇次は黙って懐に手を入れると、掴みだした財布をそのままキツネに差し出す。 それなりに手ごたえのある重みを受け止めながら、キツネは半ば呆れて勇次と手の中の財布とを交互に見比べていた。 いくら恩ある男の甥とはいえ、何の情もなければここまではすまい。
「勇次さんよ…。まさかあの男のために、縛りを覚えたのかい?」
 着流しの広い背中に呼びかける。
「あんた、あいつに惚れちまったね」
「……。悪いかい?」
「…いや。べつに悪くはねぇが…。なんてこった。そういうことも、あるんだな…」





 ある晴れた日の午後。秀は旅の行商人に姿を変えて、その村に入った。
 三度笠を目深に被り顔は分からないようにしている。 広大な竹林のなかに因縁の神社の建屋を目にしたときにも、表情には何の変化もなかった。 寺社奉行の大規模な手入れがあったそこは、今では宗派の違う宮司を迎え神事を執り行っているようだ。
 秀は田畑の向こうの杜を右手に見ながら、ゆっくりとその集落を抜けた。 やがて村はずれの小さな地蔵堂のところまで来た。小高い丘になっているそこからは、村全体が見渡せるようになっている。 地蔵堂脇に立派な枝ぶりを広げる赤松の根元に荷を下ろして、休憩を装う。
 近くには二軒の百姓家が並んで建つだけだった。ちょうど昼時で、どちらの家からも竈の煙が上がっていた。 半刻ほど待つうち、その一つの戸がからりと開いて、鎌を入れた背負子(しょいこ)を背おったがっしりした体格の男が出てきた。
「……!」
 月代をそらず束ねただけのぼさぼさの総髪頭で、すぐにそれが圭太だと分かった。 若者は一度振り返って中にいる誰かと言葉を交わすと、粗末な板戸を引いて家のまえを通る一本道をこちらの方角へ歩き始める。 地蔵堂のある丘は道沿いからはやや離れており、見つかる気遣いはなさそうだった。
 白っぽい乾燥した土の道を歩く圭太の真上から陽光が射し、土埃の舞う足元に黒い影が落ちる。 以前と変わらない健康そうな体躯で黙々と歩を進めるその姿を、秀はジッと目で追った。
 丘にのぼるひとの足で出来た草の生えない細道の前を行き過ぎるとき。若者がふと日に焼けた顔をあげ、旅人を見上げた。 秀はとっさに、手にした手ぬぐいで顔の汗を拭くふりをする。 圭太はしばらくこちらを見上げたまま、足を止めて動かない。何か考えるように首をやや傾げている様子だ。
(圭……?)
「あんちゃん!」
 出し抜けに少年の声が呪縛を解いた。 ハッとして目だけで声のした方を確認すると、五人の子供たちが緩やかな下り坂になった道の向こうから駆けて来るのが見えた。
「どこ行くんだ兄ちゃん、オレも行きたい」
「あたいも」
 八から十くらいの歳の男の子ふたり女の子、もう少し上らしき少年、小さい妹を背中に括りつけた少女が、 口々に言いながら圭太にまつわりついた。 いつものことらしく、圭太はすぐにあの人懐っこい笑い声を上げた。
「ただの焚きもの拾いだぜ?ま、ちょっと遠くに行くけどな」
子供たちが歓声を上げる。
「おい、きよ。おめぇこないだ足の裏にマメ作って半べそかいてたくせに」
「平気だもん」
 一番幼い女の子が圭太に頬を軽くつねられてムキになって反論する。
「おっかさんが、圭太あんちゃんがいれば安心だって言ってたもん」
こいつ、と圭太は呆れたように首をかしげると、まあいいやと女の子の頭を優しくぽんと叩いてやった。
「しょうがねぇなぁ。ちゃんと手伝いするなら、帰りはおんぶしてやるよ」
 きよだけズルいとワァワァうるさい子供らを従えて、圭太は歩き出す。もう、こちらのことは忘れたように振り返りもしなかった。
秀は見えなくなるまで、その後姿をただ見送り続けた。  






何とかラストまでこぎつけました。
書きたい萌えを詰め込みすぎた感がありますが、
ドМな秀を書くという当初の趣旨から外れていないことだけ祈ります。
どこか一部分でもお愉しみ頂けましたら幸いです。
いろいろとつっこみどころ満載の駄文にここまでおつき合い頂き、
ありがとうございましたm(_ _)m

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