秀、お仕置きされる 3





 市井に最近出回った瓦版で話題をさらったのは、なんと言っても、 あくどい取り立てで多くの人々を泣き寝入りさせてきた金貸しの松蔵が、 屋敷で仲間たちと惨殺死体で発見されるという事件のあらましだった。
 悪い奴が殺られた謎の事件ということで、瓦版を出す版元は連日この続報を求める客を当て込んでいた。 押し込み強盗だとか借金のカタに松蔵に犯された娘との情痴がらみだとか、 かなり当てにならない噂も飛び交ったが、 殺された者のなかにこれまた悪名高い目明かしの長五郎の名が上がったことで、 ますます町人たちの関心を集めているのだ。
 墨刷りの一色だが、今回は血塗れの死に顔もおどろおどろしい挿絵入りで、 瓦版を売り歩く読売の声もひときわ大きく、この事件について驚くべき新事実をがなり立てている。
「なんとねぇ、これぞ正義の味方だよ!松蔵の蔵からはびた一文盗まれておらず! しかも貸し付け証文だけすべてどこかに持ち去ったって言うから驚くじゃないか! こうなりゃ借りた金の証拠はチャラだ!もうあこぎな取り立てもなけりゃ売られた娘も取り返せるぜ! これで万事めでたしだ!詳しい筋を知るならコレださあ買った買ったぁ〜!!」

 手に入れた一枚を手に加代が秀の部屋をのぞいたのは、 夕涼みがようやく本来の心地好さを実感出来るようになってきた、夏も終わりの頃だった。 しばらくはさすがに声をかけるのをはばかられて、 隣に住みながらも放っておきながらそれとなく様子を伺っていたところ、 ここ二、三日前からまたコツコツと鎚をふるう小さな音が、秀の部屋から聞こえるようになったのだ。
「秀さ〜ん、ちょっと入るわよ〜」
 戸を開けると、自分で切ったらしい短くなった散切り頭の秀が、 おう、と珍しく返事をして、入ってきた加代を見上げた。
「稼ぎのネタならここにはないぜ」
 いつもならむかつく言葉も、さらに少し痩せたような秀の姿を見れば、 がめついだけで根は気のいい加代はほろりとなってしまう。雄太郎の死がよほどこたえているのだろう。
「これを拾ったもんでね。なかなか面白いこと書いてあるよ」
 加代がひらひらと瓦版を振りかざす。 秀は作業机から立ってくると、加代の差し出す瓦版を手に取り、その場で目を通した。
 松蔵が死んだ後で、屋敷から証文を持ち去ったのはおりくだった。 闇の会からの依頼にはなかったが、それらが残ることで泣きを見る者が数多くいるのならば、 これを処分することも依頼の主旨には外れないのではと、おりくが言ったのだ。 とりあえず体半分は公儀側にいる八丁堀は、 こういう形の揉み消しはクセが付くとよくねぇとあまりいい顔をしなかったが、止めはしなかった。 元々いけ好かない勘定方の役人頼りに大きな顔をする松蔵のやり口が気に入らなかったとみえる。
「それでおりくさんは証文をどうしたんだ?」
「なにね、台所の焚きつけにするんだってさ。よく燃えるらしいよ」
 加代がケロリと笑って手を振った。
「さすがはおりくさんだ・・・、あ、そりゃそーと秀さん」
 胸元から懐紙に包まれた何かを取り出して秀に差し出す。
「勇次さんから預かってきたよ」
 一目見て、開くまえからそれが何か秀にも分かった。 あのとき勇次が自裁しようとする秀から取り上げた簪・・・。黙って受け取り、確かめもせずそのまま懐に入れる。
「加代。ずっと訊きてぇと思ってたんだが―――。なんであんとき、俺を助けたんだ」
 加代がしゃがみ込む秀の顔を見上げ、何故かちょっと怒った口調で言った。
「当ったり前じゃないか。仲間だもん」
「・・・俺はおめぇたちの仕事を邪魔するところだったんだぜ」
「・・・・・」
「そういえばおめぇ、言ってたな。八丁堀以外は味方だとか何とか・・・」
 加代が観念したようにため息をついた。
「・・・勇さんには秀には言うなって口止めされてたんだけど。 今回の仕事はみんな、勇さんがあんたの命を護るために動いたんだからね」
「なんだって・・・?」
「勇さんがあんたの隠し事を聞いてきて、 秀に掟を破らせないで仕事する方法を考えるって、私とおりくさんとに相談したんだよ」
「・・・!」
 秀はハッと思い出した。雄太郎の長屋を訪ねた夜、一瞬だけなにかの気配を外で感じたことを。
(あれは勇次だったのか・・・)
 気が立って焦っていることもあり、疑心暗鬼かと思ったが、 それでは勇次にあのときの会話を聞き取られていたのだ。戻った勇次は早晩おりくと加代にこの話を打ち明け、 聞き取った松蔵宅の情報を元に、今回の仕事を秀と同じ日同じ頃合いにぶつかるよう決行することを計画したのだった。
「なんだって勇次は俺と同じ刻を狙ったんだ?」
「八丁堀を牽制するためさ」
「・・・・・」
 あの隠れ屋での談合のあと、 先に出た秀のあとを追って勇次が出て行きかけたときに交わされた会話を、加代は物語った。
「勇さんは、八丁堀が秀さんを疑ってるとみて先に手を打ったのさ。 ま、一かバチかのこじつけになっちまうけど、同じときに重なったことにすれば、 八丁堀には秀さんが松蔵の仲間じゃなくて、 あくまで軟禁されてる昔馴染みを救いだしに来たって言い訳が立つでしょ」
 事前になにも知らされていなかった八丁堀は、闇のなかで秀たち三人を見つけたとき、 相当に腹を立てていたに違いない。もしも秀が仕事するところを二人に見せていたら、 あるいは自分たちの仕事に目を触れさせていれば、 八丁堀は本気であの場所で秀もろともあの兄妹も斬るつもりでいたのだった。
「だけど勇さんとおりくさんが、完全に秀さんの動きを援護する気でいたからね。 秀さんもあの土壇場で、よく勇さんたちと呼吸を合わせたと思うよ。 それでさすがにあのおっさんも、出したくとも手の出しようがなかったってわけ。 文句のつけようは死ぬほどあるんだろうけど。あははっ」
 あとから説明をきけば、加代の明るい声も相まって楽観的に聞こえるが、 実はかなり危うい綱渡りだったということだ。
 自分ひとりが奔走している気になかばなっていた秀は、 小さく狭まっていた目の前が開かれる思いだった。
 自分の命は自分だけのもの。 誰も惜しむものなどいない。自分さえ命を捨てる覚悟で動けば、 あの二人を逃がすことが出来ると考えていた。だが、それは思い上がりだった。 実際には秀自身の知らないところで、勇次が、 おりくや加代が秀の身を護ろうと水面下で動いてくれていたのだ。
「なんで・・・。勇次はそうまでして・・・」
 独り言のように呟いた秀を、加代が少し気の毒そうな目で見た。 秀の命は護られたが、秀が救いたかった相手はほんの少しのあいだ秀の目が離れたすきに殺されてしまった。 秀はこれからずっと、そのことで苦しむのだろう。
「―――うん。私もそれが気になってね。秀さんには悪いけど、 こっちも仕事に差し障りが出るようなことはご免だから、勇さんに訊いてみたんだよ」
「・・・」
「そしたらね、秀はおっかさんの命の恩人だって」
「・・・・・」
「おりくさんを大事にしろって秀さんに言われたから。 だから今度は――自分が秀の命を護るんだって」

『おめぇが自分を傷つければ雄太郎が悲しむ』
『オレは正直、おめぇを抱きたいと思ってる・・・。でもな、いまのおめぇは抱けねぇ』

 勇次の言葉が秀の脳裏に蘇る。




 その後、町方による事件の解明は、瓦版ほどには盛り上がらなかった。
 町人を守る役目のはずの目明かしと、金貸しの不正を監視する立場でもある勘定組頭が、 そろって高利貸しに金で飼われていたという体たらくに、世の批判が集まったことが大きかった。 奉行所も悪辣とはいえ、松蔵ら町人ばかりにその責を問うことが憚られたということだ。
 金は隠し金庫にかなり溜め込んでいたが、 貸し付け証文がないとくれば金の収支はおろか出所を確かめるすべもない。松蔵が仲間や用心棒を募り、 あらたに何かよからぬ計画をしていたという疑いは残るものの、結局未遂のまま皆殺しにされてしまった。
 犯人は松蔵一味に恨みを持つ謎の集団による犯行、ということで断定されたが、 そののちなぜか捜査が進まないままうやむやにお蔵入りとされてしまった。 というのは、証文がないことを逆手に取ったお上が残された大金を一時預かりとして没収し、 そのままちゃっかり公儀の懐に入れてしまったという後ろ暗いオチのせいである・・・。
 ともあれこれで、松蔵の裏の顔のことを知るものは仕事人たちと、ゆきのを除いて誰もいなくなったのだ。


「・・・加代、ゆきのはどうした?」
「安心してよ。このなんでも屋の加代さんがついてるんだから」
 ゆきのはあれから加代とふたり、雄太郎の部屋でこっそり一夜を明かした。 加代は自分のことを、野の屋の旦那に依頼されたなんでも屋だと道行き説明したが、 秀をはじめとするくだんの男たちが何者かと、ゆきのが問いただすことはなかった。
 私も兄も何も見ませんでした、とゆきのは加代にそれだけを告げた。
 二人の過去に繋がるようなものはすべて探して処分するつもりだったが、そんなものはなかった。 死んだ父親の位牌すら残されていなかった。雄太郎は本当に、過去を捨てて生き直したいと願っていたのだ。
 翌朝まだ住人が起き出す前に長屋を出たふたりは、その足で野の屋へと戻った。 野の屋では大変な喜びようで、 加代は愛妻を無事連れ戻した弁財天の現身もかくやと人の良い旦那に涙顔で拝まれ、 さすがに面はゆくて堪らなかったらしい。
「まさかこんな形で見つけられるとは思ってもなかったけどさ、おかげで結構な信用が出来ちゃったよ」
 謝礼に加えて次なる依頼をちゃっかり期待しているところが、 さすがは落ちている餅でも売れるものなら売り飛ばす根性の加代らしい。
「ところでゆきのさんから、秀さんに伝えて欲しいって言付けを預かってるんだよ」
 加代の言葉に秀はどきりとして、作りかけの細工に目を落とすフリをした。 ゆきのには二度と顔を合わせられないと思っている。 自分はたったひとりの肉親である雄太郎を死なせた人間だ。 ゆきのにしてみれば、自分に会えばきっと、恨みごとのひとつも抱かずにはいられまい。
 ところが加代は、驚くようなことを口にした。
「雄太郎兄(あに)さんが死んだことは本当に残念です。でも秀さんが自分を責めないで下さい。 あんちゃんが言ったように、秀さんは生きてください・・・だって」
「―――・・・」
「ほんとにいいひとだよ、ゆきのさんは。ずっと秀さんのこと、気にしてたんだよ」
 言いながら加代のほうがもらい泣きしている。例のサンゴ玉の簪は、ゆきのの手に返した。 ゆきのはそれを、兄の形見でもあり、そして秀さんのご恩を忘れないよう、一生肌身に着けておくと言ったそうだ。
「ゆきのさんね、ほんとは昔・・・秀さんのことが好きだったんだって・・・。 だから自分たちのこと忘れずに助けに来てくれたのが、ほんっとに嬉しかったんだってさ」
「・・・俺は助けられなかったじゃねぇか―――」
「どっちか一方でも助かったんだからいいじゃないか!あんた贅沢だよ! だってもうゆきのさんはこれからさきずっと・・・、野の屋のおかみさんとして、 お天道様の下で堂々と生きていけるんだから・・・」



 いろいろなものを失った―――。
 あの煉獄の底を這い回った夜が明け、秀が目を覚ましたとき、 そんな想いだけがとりとめない思考のなかで浮遊していた。今さらもう、 なにを考えてもすべては元には戻らないのだ。秀は抜け殻のように無感覚に、ただ天井を見つめて呼吸していた。
 背中にあたる感触が柔らかいことにふと気づいた。 ずっと固い床板に仰臥しているものと思っていた。誰かが秀をちゃんと布団に寝かせてくれたようだ。
(・・・・・)
 ぼんやりと天井を眺めたまま、持ち上げた手でゆっくりと自分の胸元を探る。 汗やそのほかあらゆるもので穢れきったはずのからだを拭き清められていることが、 手触りで分かった。素肌に単衣が着せてある。 前を合わせただけで帯こそ締めていなかったが、さらさらと肌触りのよい麻の単衣だった。 簪の代金代わりに以前貰ったままのものを見つけて着せかけたらしい。
 自分の身を清めて寝床に運び、単衣を着せて去った者のことを想う。 あれほど鬼畜な抱き方をしたあとにこの優しさでは、差が大きすぎる。
『・・・・・。分からねぇか?』
 勇次の言葉とあのときの冥いまなざしを思いかえす。
『なぜオレにそれが出来ねぇのか・・・。おめぇには、分からねぇんだな』


「―――ゆぅじ・・・・・」
 いまになって思い知った。自分自身への怒りを勇次へのそれにすり替えた己の狡さを。 命だけでなく秀の心までも護ろうとしていた勇次に、どれだけ酷な求めを強いたのかを・・・。
 加代も去った誰も見る者のない室内で、秀の固く閉じたまなじりから涙の一筋が溢れた。

 水鏡のように澄み切っているのに、何故かいつもその目を哀しいと感じる自分がいた。
 それが不思議で、あいつに惹かれた。





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