秀、迷走する 5







 予告したとおりの刻限。
 黒装束に身を包んだ影が二人の部屋に現れると、 緊張した面持ちの雄太郎とゆきのが驚いた目をして秀を迎えた。
 まだ少女という印象しかなかったゆきのは、 すっかり小商いの女房の風情が身についた女に成長していた。 無言で秀を見上げる細面のなかの濡れたような瞳が、強い不安に揺れている。 しかしそこには、雄太郎の怯えた表情に見い出した秀に対する懐疑や警戒は含まれておらず、 それが秀の唇に淡い笑みを浮かばせた。
「・・・いいか?何が起きても前だけ見てな。お前らはこの屋敷から出るまで、一切の起きることは何も見ないんだ。いいな。 俺の言う通りにすれば必ず出られる。怖くても、絶対振り返るんじゃねぇぞ」
 押し殺して淡々と告げる声の響きが持つ重さと、予断を許さない内容とに圧され、思わず顔を見合わせた兄妹だが、 腹を決めたらしくやがて二人とも秀の顔を見つめてしっかりと頷いた。
 部屋の灯りはそのままに、縁側に面した廊下に滑り出る。屋敷の東と西に庭があり、 兄妹の部屋は東の対に位置していた。三人は庭に降り、履き物を懐にしまうと土のうえを 秀の誘導に従ってそろそろと進んでいった。
 松蔵の屋敷はひとの出入りを管理するためか、庭には大抵作ってありそうな木戸の類いはない。 ということは、家事を切り盛りする通いの女中が帰ったあとの台所から土間に降り、 使用人の勝手口から外に出ることになる。
 そこに辿り着くまえに、一度庭からふたたび廊下にあがり、 母屋にあたる西の対でまずいくつかの部屋の前を通り抜ける必要があった。 西に設けてある庭に面した廊下沿いに松蔵および一味の使用間が並んでいる。
 子飼いの掏摸ふたりは、雇われの用心棒と共に賽子を振っては酒をあおり、 松蔵はといえば女遊びは外に限り、あとは金勘定にいそしんでいるのか、 たいてい夜半過ぎても灯りを絶やすことなく起きているらしい。
 ただ今夜、その部屋に目明かしの長五郎が来ているかどうかは、 さすがに雄太郎も探ることが出来なかったようだ。一度偵察に店の前を通ったとき秀が見た限りでも、 実際手荒なことをさせればなかなか使えそうな、 はち切れそうな体躯を誇示した獰猛な男という印象だった。
 長五郎がいるかいないかで、今夜の首尾の危険度は大きく上下する。秀はかすかに不安を感じたが、 船はもう港を出てしまった。あとは沖にむけて一気呵成に進むしかない。
 庭からふたたび廊下に上がり、難関にこれから差し掛かろうとしたときだ。
(―――!?)
 秀ははっきりと覚えのある青白い殺気を感じた。 それは一番端に位置する小部屋から発せられている。 だれの使用間でもないはずのそこに、誰かが潜んでいるのだ。
(勇――――)
 秀の全身が総毛立った。よりにもよってこの夜、仕事が決行されたとは・・・。 二人を押し止め、自分はその前面に回ると秀は胸元から自分の獲物を取りだし、そっと唇に咥えた。
 いまや松蔵一味よりも勇次の存在が恐ろしかった。勇次がここに潜んでいるということは、 とりもなおさずおりくや加代、そしてもっとも秀が畏れている八丁堀もまた、 どこかの闇に溶けて秀の動きを見張っているのだろう。
(ここまでか・・・)
 秀が勇次との対決を覚悟しかけた時、子飼いの使用間で誰かが笑いながら立ち上がる気配がした。 とっさに回廊の角に二人を隠し、壁にひたと身を寄せる。 からりと障子をあけたのは、丸坊主のいかつい用心棒だった。 しばらく立って廊下の左右に酔眼を配っている。中からひとりが声をかけるのが聞こえた。
「おい、どうかしたのかい?」
「いや・・・。なんとなく背中がぞわっとしたもんでな」
「背中がぞわっ?なんだそりゃ。そいつは酒が足りねぇんじゃねえのか」
 わははと中で男たちの哄笑が響く。そうか、と薄笑いを浮かべた用心棒だったが、
「ちょっとションベン」
と言うなり、秀たちが潜んでいる廊下側へと歩いてきた。
(・・・!)
 秀が簪を喰い締めたその刹那。 暗がりでかすかに鋭い羽音のような音が飛んだ。と思った瞬間、
「!?」
用心棒の体がきりきりとコマのように二回転し、一声も上げられず音もなく開いた小部屋の闇へと 首のほうから引き込まれていった。やがて勇次の、断末魔を奏でるごく小さな一音が、 聞き慣れた秀の耳の底を打った。
 間をおかずして、夜目にも鮮やかな白足袋の先が部屋から廊下へと滑り出た。 秀のいる方角をちらりと凄艶なあの眼差しが捉えた。こくり、と秀が無意識に喉を鳴らす。 が、勇次はそのまま何も見なかったように再び部屋のなかに姿を隠した。
 と、入れ替わりにすうっと姿を現したのは、おりくである。勇次の潜む小部屋は内側からふたたび障子が閉まり、 おりくは音もなく廊下を進むと、隣の子飼いの部屋の障子の陰に腰を折り、闇の一部のごとくに潜んだ。
(・・・・・?)
 この母子の行動には、どう考えても、秀を先に進ませようという狙いがあるようにとしか思えなかった。 もはやぐずぐずとここで迷っている暇はない。 もしそれが己の見込み違いで、おりくが立ち上がりこちらにバチを振りかざすことがあれば、 そのときはそのときだった。
 秀は廊下の辻の陰に抱き合っておびえていた二人を差し招くと、 細心の注意を払うよう目顔で命じ、ゆっくりと歩みを進めた。 おりくの脇を通る間も、襟を大きく抜いたその後ろ姿は微動だにしない。秀のこめかみを冷たい汗が流れた。
「・・・あいつやけに遅くねぇか」
 子飼いのひとりが立ち上がる気配がした。
「厠にはまって往生してるんじゃねえのか?」
 笑いながらよろよろと廊下に出て、周囲を確認もせず厠へ歩き出したところを、 おりくのバチがすかさず一閃する。
 とさり、と開け放した障子のむこうで倒れる音を耳にしたのだろう、もうひとりの掏摸が、
「おい、どうした?」
さすがにあやしいと感じたのか賽子を投げ出して立ち上がりかけたのを、 今度は隣室の襖の隙間から、勇次の魔弦が確実に捉えていた。
 背後で密やかにしかし凄まじい技の切れ味をもって繰り広げられる殺戮のあらましを、 まざと肌で感じながら、秀はなんとか二人を松蔵の部屋のまえから向こうに渡し終えていた。 しかしそのとき、きしみ板にゆきのがうっかり乗ってしまい、 それが小さいながらくっきりと目立つ音を立ててしまった。
(まずい)
 案の定、松蔵の部屋のなかでそろばんを弾く音が止まる。秀は雄太郎とゆきのに先にゆくようにと素早く合図した。 ここまで来ればあともう一息、屋敷に住んでいた二人のほうが間取りには詳しいはずだ。 秀は松蔵が出てきたら自分が食い止めるつもりで廊下を向き直った。
 が、
(!八丁―――)
 松蔵が障子をからりと大きく開け放ったのと、いつの間にいたのか、 両手を袖の内側に入れ込んだ二本差しが黒い影の立ち姿で正面の庭に佇んでいるのを、秀が見たのはほぼ同時だった。
「―――!!な、なんだおめぇはっ!?」
 ギョッとしたのは秀だけではなかった。お店の旦那然とした恰好をしておきながら、 つい地の声が出た松蔵だったが、真正面から無表情に自分を見据える侍の着衣が、 町方外回り同心のそれであることに気づくと、
「こっ、困りますなぁ旦那!こ、こんな時間にいきなりなぜこんなところに・・・」
すでに混乱して言うこともやることも呂律が回らなくなっている。
「あ、あたしには勘定方の、こ、こ、小平様が後ろ盾について居られます―――」
「ふぅん・・・。それで?」
 半眼を松蔵に据えたまま、八丁堀がのっぺりとした声で先を促す。
「だっ・・・だから、あ、あ、あんたがた外回りのっ・・・し、下っ端になんざ用はねぇって言ってんだよ!!」
 泡を食って後ずさりながらも、したたかな強請り文句で啖呵を切るあたり、 さすがは悪辣さにかけて引けをとらない松蔵だった。しかしこの一言は、 目の前の得体の知れぬ同心を面白がらせたようだ。
「へぇ。で、言いてぇことはそれだけか、松蔵?」
 片頬だけでニヤリとした八丁堀が、懐から抜き出した手で長い顎をさする素振りをしながら、思い出したように付け加えた。
「そういやな。おめぇが頼みの小平様ってお方なぁ、 ついさっき料亭から出てきたところを―――辻斬りに殺られちまったらしいぜぇ」
「げっ・・・」
 松蔵は声にならぬ呻きを上げた。今夜松蔵はひとりで自室に居たらしい。 口先で逃げをうとうにも、八丁堀から発せられる重厚であからさまな殺気は、 松蔵を狂乱に陥らせるには十分だったとみえ、そのうち首を絞められた鶏のような一声を発するなり、 背を向けて部屋に転げこんだ。
「・・・」
 八丁堀の足がゆっくりと、庭に降りるための沓脱ぎ石にかかる。土足のまま一足近づくごとに、 開け放した部屋の端に逃げた松蔵はわめきながら、 近づく不気味な侍にむかって手当たり次第に帳面やそろばんを投げつけている。 あたら周辺の家々から隔たるような堅固な造りにした屋敷は、松蔵の助けを呼ぶ声も空しく外にまでは届かない。
「くっ・・・来るなっ・・・・・それ以上来るんじゃねぇ!!」
 松蔵がぶるぶると震える手に何とかドスを抜き取り目の前に構えた。 無言の八丁堀を脂汗のしたたる顔で睨み上げながら、
「ちょ、長五郎!!いねぇのか!!!!」
 瞬間、ぎらりと一閃した白刃がその頭上に重く落ちかかり、それが松蔵の最後の言葉になった。



 秀は八丁堀の仕事を見届けることなく、雄太郎とゆきのの後を追っていた。
 二人の乱れた気配は薄暗がりの部屋のそこここに生々しく漂っていたから、後を追うのは簡単だった。 幾つかの客間や衣装部屋などを抜け、一段下がった台所へ続く板間に降り立ったとき、
「雄太郎!!逃がさねぇぞ!!」
 視界の闇の中で突如として鵺のような男の奇声が上がり、続いて何か揉み合う音、 そして雄太郎の叫び声が秀の耳を打った。
「―――!!」
 駆けつければ裾を尻はしょりにした屈強な男が、広い土間に雄太郎を組み敷き、 ドスを振るっているところだった。長五郎はたまたま今夜遅い時間にやって来て、 昼間と違って勝手口から台所に入ったところを異変に気づいたのだ。 逃げる二人の前に立ちはだかった時にはすでに、 十手持ちの皮はかなぐり捨て、ドスを操るやくざ者の本性をさらけ出していた。
「雄!!!」
 立て続けにあがる雄太郎の悲鳴。ゴボッと盛大に血を吐きだす音がする。 秀の頭のなかが真っ白になった。それからのことはすべてはなにか夢のなかの出来事のように、 ゆっくりと無音で流れていった。
 台所の道具にけつまずきながら転がるように、揉み合う男たちにむしゃぶりついた秀が、 のしかかる長五郎の肩を思い切り掴んでそこに簪を突き立てると、長五郎が獣じみた咆吼を上げた。 思わず固く締まった肉に刺してしまった簪が、いつものように抜き取れない。 なんとか藻掻く長五郎の動きを逆手にとって引き抜いたが、仰向けにもんどり打ったところに、 完全に狂気を宿して生来の残忍さを剥き出しにした長五郎の屈強な体が跨った。
「へへぇ、簪たあ、オツな真似しやがるじゃねぇか・・・。ちぃとばかり痛かったぜ?」
「ク・・・ッ」
「秀さん!!!」
 ゆきのの悲鳴が闇を引き裂く。振り下ろした血塗れのドスが秀の首筋を掠めた。 素早く横を向いてかろうじて避けた秀は声の限り叫んだ。
「っっ行けっ!ゆきのはやく行けえ!!!」
 二人が逃げる時間を稼ごうと、秀は長五郎の首に下から両手を巻き付け自分に引きつけた。
「なんでぇ、オレにそんなに可愛がって欲しいのかい?」
 秀の首に回った肉厚の左手が、子供を掴むようにやすやすと喉を締め上げる。 狂気じみた怪力に、息が止まりかけ視界が急激に狭まってゆく。 至近距離で凄む長五郎の血走った目が秀の目を覗き込んでにんまりと嗤った。
 皮一枚で外したドスを床から引き抜き、秀の額を狙って右手を思い切り振りかざしたそのとき、
ゴン・・・・・
鈍く重い音がしたかと思うと、長五郎がグゥ・・・と唸り声をあげ白目を剥いた。
 その隙を逃さず、秀が真下から喉に向けて両手で構えた簪の切っ先を渾身の力で突き通す。 そのまま自重で秀の上に落ちてきた重い体が、首の裏側にまで貫通した切っ先に激しく痙攣していたが、 やがてゴトリと首を落として動かなくなった。
「か・・・加代・・・?」
「はやくしてよ!もうダメっ!!」
 加代が両手に抱え上げた石臼を、耐えきれず長五郎の上に落としてしまう直前に、 慌てて秀は重い死体の下から転がり出た。グシャ、と頭蓋骨の潰れるイヤな音がした。
「・・・加代、なぜだ、おめぇら・・・」
「シッ!いいからさっさとお行きよ!!八丁堀以外はみんなあんたの味方だよ!」
 思い切り締め上げられた喉元がひりついて声が掠れていたが、その言葉に秀はハッと跳ね起きた。 姿の見えなくなっているふたりを追い勝手口を飛び出してゆく。


 そこは木材問屋の板塀が向かい側にしばらく連なるばかりの狭い路地だった。 緩い風のなか、あからさまな血の匂いを秀は嗅ぎ付けた。
(雄太郎。雄・・・たろう)
 果たして小舟を隠した近くの土手下にさえ行き着かぬうち、 板塀に寄りかかり足を投げ出した雄太郎の、ひょろ長い上半身が見えた。
「―――」
 秀はふらふらと近づくと、変わり果てた友の姿を呆然と見下ろした。ほんのわずかの時間、 自分が目を離した隙に・・・。長五郎のことは完全に失念して、先を急がせたばかりに・・・。
「あん・・・あんちゃん・・・しっかりして・・・・・あんちゃ・・・」
 声にならぬ嗚咽を着物の袖口を噛むことで懸命に抑え込みながら、ゆきのが兄の力ない腕にすがる。 雄太郎は腹を二箇所刺されていた。中身が出ているのか、 黒々とした染みが広がる帯の辺りを両手で押さえ込んでいる。 びっしりと全身に浮いた汗が、板塀にだらりと預けた頭から、 のけぞってくっきり飛び出たのど仏、はだけた胸にまで滝のように流れ落ちていた。 焦点の合わない眼で虚空をみあげ、ハッハッ・・・とせわしい息を吐く。
(ゆうたろ・・・すまねぇ――――すまねぇ――――・・・)
 秀のぐるぐると回る記憶のなかで、再会したとき交わした会話から、 かつておにやすの悪口で気焔を上げていた十代の若い雄太郎、 ちょっとはゆきのも色気づくといいなどと言って簪を秀に依頼してきた日のこと、 細目をさらに細くして哀しく笑う雄太郎の顔などが、入り乱れて次から次へと蘇る。
(松蔵に繋がれても・・・命までは獲られずに済んだのに俺は―――)
 たとい貧しくとも負い目を抱かずに暮らしたい・・・。 そんな堅気の生き方に焦がれる雄太郎とゆきのを、どうにかして自分は助けたかった。 殺しに手を染めた己と違い、そこにはまだ起死回生の機会はいくらでもあると信じたからだ。 しかし自由と引き替えに、一つしかないその命を奪うことになってしまうとは。
(こんな取り返しのつかねぇことになっちまった・・・。俺が、俺がおめぇを殺したんだ・・・・・)
 足の下にぽっかりと暗黒が口を開けていた。秀は仕事人の仕置きを待たず、みずからの死を腹の底から望んだ。
「・・・」
 ずっと手に持ったままだった長五郎の血の匂いの残る簪を両手で固く握り込むと、 うつろな目を半眼に伏せてゆっくりと自分の喉元へと近づけてゆく。
 と、突如として何か細いものが秀の右手に巻き付き、次の瞬間千切れるほどの強さで引かれた。
「っっ!?」
 チャリンと音を立てて、秀の手から簪がこぼれ落ちる。
「く・・・っ・・っ」
 細くしなやかな三の糸でキリキリと容赦なく秀の手首を締め上げながら、 おぼろな月明かりを背にした長身がゆっくりと近づいてくる。 苦痛に顔を歪める秀のすぐ傍らに片膝をつくと、簪を拾って無言で自分の懐へとしまった。
「自裁はゆるさねぇ」
 ぽつりと言うと、勇次は爪先で糸を切った。手を解放された秀は一瞬勇次を見たが、 その瞳に視線を合わせられず、顔を背けた。
「はやく殺せよ」
「・・・・・」
「頼む・・・殺してくれ、勇次・・・!」
 二人の背後に重い壁のような空気を感じた。振り返って見るまでもない。 二本差しの黒い影が不穏な沈黙を背負って近づいた。
「そこどけ。オレがぶった切る」
 勇次が無言で向き直ると、八丁堀と秀のあいだにスッと入り込んだ。
「八丁堀。こいつの命はひとまずオレに預けて貰おう」
「・・・」
 答えずに八丁堀の剣呑な殺気だけが立ち昇る。人を斬ったばかりの大太刀そのものだった。 一方の勇次は、青白い月の冷ややかさを纏い、その凄烈さは目の前の血腥さをも寄せ付けない。
「今回はオレが仕事のまとめ役だぜ?それくらいの特権があって当然じゃねぇのかい・・・」
 勇次の言葉に驚く秀には見向きもせず、八丁堀が半眼を勇次に向けてのほほんとした口調で訊ねる。
「勇次。オレは言ったよな?こいつが仕事を邪魔しやがったら―――」
「あぁ。だが・・・。仕事に邪魔は入らなかったぜ。それはあんたも知ってるはずだ」
 押し殺すような低い勇次の声。それを八丁堀の野太い声が押し戻す。
「仲間を逃がそうとしたってのはどうするんでぇ」
「あれは松蔵にわけあって囚われの身になってた兄妹だ。秀が古い知り合いで助けてやったらしい」
 八丁堀の唸り声に苛立ちが混ざる。勇次の混ぜ返すような屁理屈が気に入らないのだ。
「知り合いだろうがなんだろうが、仕事を見られたからには生かしちゃおけねぇな」
「そいつも心配無用だ。こいつら何ひとつ見ちゃいねぇよ。秀がうまく誘導したからな」
「おい!勇次いいかげんに・・・」
 そのとき、ゴボッとくぐもった音がして、ゆきのの息を呑む気配に三人はそっちを注視した。
「あんちゃん!!!」
「・・・・・お、・・・ぉめら、、よせ・・・」
「雄太郎!?」
 緊迫したやりとりの最中だということも忘れて秀が傍らに膝をつき、 雄太郎の顔を覗き込む。口から下はおろか顔中に鮮血を飛び散らせた雄太郎は、 いまにも白目を剥きかけながらも、蒼白の唇をわななかせて自分を凝視している秀に、のろのろと目を向ける。
「お、、オレ、が、・・・ひ・・・ひ、・・・で・・のかわ・・り・・・し」
「喋るな!!!」
「・・・・・お、、れが・・・ひでの・・・・・か・・」
 瀕死の男の言わんとするところが、勇次にも八丁堀にも通じた。二人は無言で一瞬目を見交わし、 死にゆく男の切れ切れの言葉に耳を傾ける。
「―――・・・ゆ、め・・・見・・て。ひで・・・う、うれし・・・った」
「すまねぇ、雄太郎、俺のせいだ!!俺も、俺もおめぇのあとからすぐ・・・」
 血まみれの雄太郎の手が腹を滑り落ち、ぱたりと傍らの秀の膝にのせられた。
「んな――だ・・めだ・・・・・だ・・」
 秀を慰めるように膝を掴もうとするが、指に力が入らずずるりと脇に落ちた。 それでもほんのわずかだが、雄太郎が懸命に首を横に振ろうとしている。 ひゅーひゅーと笛を吹くような音とごろごろと喉の鳴る音が交互に入り乱れるなか、
「ゆ、・・き、、、ひ・・・・で、、、い・・・」
 逝くぜ、と言ったのか、それとも生きろと言ったのか。 雄太郎は秀もよく知る、笑うと糸のようだった細目になるとそのまま動かなくなった。






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