Cocoon - 繭 - 5
下ろした腕に当たった何かにそのまま腕を預けたあと、しばらくして、 「・・・。ん・・・?」 左門さんが身じろぎをして目を覚ましたのが分かった。 秀はとっさに身を固くして息を殺した。 「・・・え?」 半分寝ぼけた声を出しながら、ひたひたと手が秀の上体を探っている。 そのうちようやく、酔っ払いのバイト生を連れ帰ったことを思い出したのか、 「ぇっと・・・。む、らかみくん…?」 戸惑ったような声がなぜか小さくなった。ベッドを譲ったはずの秀が隣に居る意味が分からないが、 さすがに驚いたらしい。 「ごめんなさい・・・」 左門さんが次の疑問を発する前に、秀は謝っていた。 「ごめんなさい。ごめんなさい・・・」 ちょっと首をもたげて脇の辺りに縮こまっている秀を見ている気配がした。やがて、ふう、と不可解な溜息。 「・・・・・。気分は?」 しばらくの沈黙をおいて、完全に目が覚めた左門さんがぽつりと訊ねる。 いつもと同じ調子のその声に、ホッとして涙腺が緩みかけた。 「だ・・大丈夫です、もう、平気です」 「そっか・・・。安心した。先に全部吐いてて良かったな」 「はい・・・あ・・・ありがとうございました。すごい迷惑、かけちゃって」 消え入りそうな声でまた謝罪を繰り返す秀に、左門さんが呆れた声で遮った。 「まったく。そんなに謝るくらいなら、なんで無理して飲んだんだよ。未成年が」 「ぁ・・すみません・・・。自分でも何でなのかよく、分かってませんでした」 「ごめんな・・・。謝らなきゃいけないのはオレたちの方だよな。酒が入るとノリが先行するから。 とくに君みたいにおとなしい子は雰囲気に呑まれたとしても無理はないよ」 左門さんがフォローするようなことを言ってくれたが、最後の一言はなぜか秀の胸を穿った。 「・・・。おとなしい・・・。俺が・・・?」 「ん・・。おとなしいって言うか、自分の感情をほとんど外に出さないよね」 その後で、左門さんが闇のなかで少し考えるような間をおいて付け足した。 「・・・。だからあのときはちょっと驚いたんだよ」 「あのとき・・・?なん・・ですか?」 不思議だ。さっきまであんなに息を潜めていたのに、いま左門さんと体をくっつけたまま普通に会話している・・・。 口に出して言ってみたかった。俺はべつにおとなしい人間なんかじゃないんです。 うまく外に出せないだけで、なにか言う前にどうせ伝わらないと諦めてしまうことが多いだけで、 ほんとは、ほんとは・・・・・ 秀の疑問に、やがて左門さんの少し笑いを含んだ声が返された。 「前に村上くんが、朝早くから待ち構えていて、オレに謝って来たときのこと」 もうかなり前の話になるのに、左門さんがちゃんと覚えていたなんて。まだ左門さんに恋してるという自覚すらなく、 それでも必死だったあのときの自分を思い出して、秀は暗闇のなかで顔を熱くした。 「あ、あれは、俺の態度が悪かったし、左門さんにはちゃんと謝っておきたかったから・・・」 宥めるように、ポンポンと背中を軽く叩かれた。 「・・・からかったんじゃないよ。あのときは驚いたけど嬉しかったから。ありがとうって、いま言いたかっただけ」 「・・・・・」 気が付けば秀は左門さんの顔が見えないのをいいことに、胸に乗せていた手を回してギュッと抱きついてしまっていた。 ビクッと、固く分厚い胸が隆起した。 「む・・・。村上、くん?」 動揺を隠せない声がすぐ耳元に振ってくる。半身起こしかけて自分に強くしがみついている秀を覗き込もうとしている。 もう後に引けなくなった秀は、顔を隠すようにしてその逞しい胸に押し付けると、必死の声で囁いた。 「お、おねがい・・・っ」 「!?」 この一言で自分の体温が一気に上がった。秀は服の内側にドッと汗が噴き出すような熱を感じた。 どうしていいか分からず、ただ抱きついたままで上がりかける呼吸を抑えつける。 密着した部分を通してお互いの鼓動が早く脈打っている。 左門さんの体にもこの熱が伝わらないはずがなかった。 「ちょっ・・・、待って、どうしたの村上くん?急に・・・」 焦る左門さんの声がさっきまでの落ち着きを失っている。秀の背に置いていた手を肩に回して、 戸惑いながらやんわりと引き剥がそうとした。 「おにっ・・ちゃんっ、おにいちゃんおねがい・・・!」 呼気だけで鋭く闇を掠めたその叫びに、左門さんの手が止まる。 思わず口走った自分の言葉に、秀もハッと我に返り沈黙する。 「・・・・・・」 急に力が抜けたように、左門さんが起こしかけていた上体をゆっくりと元の位置に倒した。 そのまま何も言わない。肩にかけた手も動かない。 が、少しのあいだ放心していた秀はその手にやがて力が籠り、自分の肩を軽く掴んだことに気が付いた。 「・・・何をおねがいしたいの?」 その声はどこか苦しげに聞こえた。それでいて、受け止めるような優しさもあった。 左門さんはきっともう分かってる。ふとそんな気がした。 「・・・左門さん・・・。今だけ、」 「・・・今だけ・・なに?」 肩を包み込んだまま、もう喉がカラカラに枯れたような小声で左門さんが訊き返す。 秀はこくりと溜まった唾液を飲み込んだ。 「・・・このままでいて・・・下さい。さ、もんさんは、う・・・動かないで・・・」 答えない沈黙を全身で感じながらも、秀は左門さんの隆起する胸から、 着たままのスーツのズボンの方にそっと手をずらした。 まさかと思っていたことがその通りになったのに動揺したのか、左門さんの体がまたピクリと大きく揺れた。 ごくりと闇のなかではっきりと聞こえるほどに息を呑み込む。 しかし彼は、秀を突き飛ばすことまではしなかった。代わりに一度息を大きく吸うと、おずおずと口を開く。 「・・・。・・・・・。むら・・かみくん。君・・・その、げ・・・ゲイなのか・・?」 さっき思わず秀が口走った、おにいちゃんという言葉に、何も知らない左門さんはそんな想像をしたらしい。 「・・・分かりません。・・・でも俺、・・・左門さんのことが、好き・・・です」 ほとんど吐息に近い声で、ついに口に出していた。 おにいちゃんが突然消えてしまって以来、はじめて、誰かに好きだと言った。 「ずっと好きでした」 一度口に出したら、次は自分でも意外なほどにするりと声に出ていた。 秀はもう、そのあとのことは念頭にもなかった。この高まる空気のなかで、 おとなしいと言われた自分のほんとは熱く渦巻く感情を・・・このひとにぶつけることが出来た。 厚かましいと思われても、もし後悔するとしたらそれはきっと、 この機会にそれを伝えられなかった自分のほうにだ。 「・・・」 「・・・」 「・・・・・それ、いつ、から・・・かな?」 もうどのくらい沈黙が過ぎていったのか分からなくなった頃に、左門さんが途切れ途切れに低く尋ねた。 「・・・分かりません。自分にも・・・。いつの間にか・・・」 しばらく悩んだ末に秀が小さく律儀に答えるが、左門さんはなんの返答もしなかった。 「・・・左門さん。さ・・・触っていいですか」 不意に悲しみがこみ上げて来て、秀は喉の奥から絞り出すようにもう一度懇願する。 当然のことだがこの展開と告白に只々面食らい、まともな思考が追い付いていないのだろうと思ったが、 「・・・・・・・・。あぁ。君が、そうしたいなら・・・」 左門さんがやっとのことで声を出した。いつもの声とはトーンが違っていたが、もう取り乱してはいなかった。 見えるはずもないのに、少し頭を起こして仰向いたままの彼の顔をそっと伺う。 肩を包んでいた手にもう一度やんわりと力が入った。 その手が少し滑って、秀の癖のある髪を探り当てて軽く掻き乱す。 秀は闇のなかで目をしばたかせ頭を胸のうえに戻した。 恋しいひとの匂いに包まれて、頬をゆだねてジッとする。優しい愛撫のような触れ方だった。 (・・・・・) もう何も言うことはなく、その手の動きに、秀を避けようとしない体の温もりに、 今だけはこのひとに赦されたと思う。そう思って彼の優しさに甘えることにした。 目を閉じてシャツの匂いを深々と吸い込み、秀は自分の知っている唯一のやり方で想いを伝えはじめた・・・ 「・・・いつから?」 「えっ?」 引っ越した新しいワンルームのアパートでの最初の夜、秀が左門の肩口に鼻先をくっつけたままでポツリと訊いた。 「何がいつからだって・・・?」 「いつから、俺があんたを見てるのに気づいたのかな・・・って思って、なんとなく」 ベッド以外の床スペースには、まだ荷ほどき途中や開封もしていない段ボールが放置してある。 ボロすぎるアパートがついに撤去されることになり、 秀が敷金礼金ゼロの新居に移ったのは、翌年の四月のはじめだった。 転居にはもちろん、左門が借りて来た軽トラで荷運びを手伝い、ごくひっそりと引っ越しは終わった。 左門が秀の想いを受け入れ、一方的でない形で肌を合わせてから数か月のうちに、 これまでの見た目の与える無愛想でクールな印象とは打って変わって、 左門の前でだけ、秀は甘えん坊の性質を隠さなくなっていた。 もちろん、会社では互いに素知らぬふりをして今までどおりに振る舞ってはいるが。 一緒にいるときにはどこか一部でも体を触れ合わせておきたいらしい秀が可愛くて、 左門は仰向けになっていた体を横向きにすると、秀のとろんとした黒目がちの瞳を覗き込んだ。 慌ただしい引っ越しと荷ほどきもそこそこに始めたセックスとに、さすがに疲れたようだ。 「・・・そうだなぁ。オレに言わせれば・・・けっこう早い時点から視線は感じてたよ、実をいえば」 「えっ、嘘だよそんな」 ムキになって否定する。甘えるくせに強がるところがまた可愛い。 「まぁそんなあからさまって感じじゃなかったけどな。チラッチラッとこっちを気にしてるなというのは、思ってた」 「・・・・・」 「いいだろ、今さら。そのおかげでオレは秀を意識するようになったんだし」 ん?と左門が秀におでこをぶつけるようにして訊くと、 「・・・。俺ってそんなに・・・分かりやすかった?」 今になって恥ずかしくなってきたのか、秀がもぞもぞと決まり悪そうに呟いた。 「気づいてからはね。そういうほんとは正直なところも、・・・好きだと思った」 あまりはっきりとそうした言葉を口にしない左門が、かなり照れくさい声で小声で打ち明けてくれたので、 秀は返事する代わりに腕を伸ばして、ずしりと重たい愛しい体を自分のうえに再度引き寄せた。 分館topに戻る
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