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(9)








 シャワーを浴びた勇次がバスルームを出ると、ツインルームのベッドのひとつに秀夫が寝転んでいた。 入れ替わりに出て来た時と同じ、ボクサーパンツ一丁のままだ。
「湯冷めするだろ。腹壊すぞ」
 あれだけ食べておきながら、いったいどこに入っていったのかと不思議になるほど平らな腹を見ながら言うと、
「どうせ脱ぐんだろ」
 身も蓋もない答えが返る。勇次は苦笑して自分のほうは一応羽織って出たローブ姿のまま、 ベッド脇に腰を下ろした。秀夫がジッと見上げている。手を伸ばしてまだ湿り気の残る髪に指を差し込んだ。
「なんだ、その顔」
「顔?」
「何か気になること、まだあるんじゃねぇか?」
 秀夫が不思議そうに軽くまばたきして、近づく恋人の顔を見つめていた。何で分かるんだ、 とアーモンド形の瞳が告げている。 目を見交わしたまま唇を触れ合わせ、その肉感的な柔らかさを味わうように吸い付けると、 秀夫の瞼が一瞬半分下りかけて、そしてまた意思を持って見開かれた。 勇次は顔を上げるとスプリングを軋らせてベッドに膝をあげ、秀夫の隣に転がった。
「したくねぇのか?」
「したいよ。やるよ勿論。でもお前は思ってることが顔に出るからな」
 図星らしく、秀夫は珍しく反論せずに、たった今重ねたばかりの天然のあひる口をムッと尖らせた。
「……いやんなる」
「え?」
「俺ってそんなに分かりやすい?」
「場合にもよるさ」
 なんだそれと不貞腐れたように呟き、そのままそっぽを向く秀夫の顔を、 勇次は上体をのしかからせて覗き込んだ。
「お前は嘘がつけねぇから、そこがいいんだよ」
「ぜんっぜんよくねぇよ!もういい。すぐやらねぇなら、俺向こうで寝る!」
 押しのけようとした腕の動きを逆手にとって、シーツに両手を押し付ける。 両腿を挟むように上に重なると、秀夫のボクサーパンツのふくらみがすぐ自分のそれと触れ合い、 今の会話など押し流してしまうほどの昂ぶりを覚えた。
「―――…」
 噛みつくようにキスをしながら、腰を擦り付ける。秀夫が唐突な始まりに抗議の声を上げかけるが、 舌を深く差し入れ愛撫するとン、ン、と息苦しそうにしながらも身体から力は抜けていった。
「―――ぷはっ。ちょ、待てよ。その前にパンツの代え、これしか持って来てねぇから!」
 甘いムードとか、旅先のホテルというシチュエーションとか、 こいつの頭にはなんにも色気がねぇのかなあと思ったが、部屋に入ってすぐにキスしてきたのは秀夫だった。 秀夫なりに実は精一杯の照れ隠しのつもりかも知れない。 勇次はニヤリと口の端を引き上げ身を起こすと、秀夫の下着に指を掛けて一気に引き下ろした。
「!」
 続けてすでに着崩れかけていたローブを肩から滑り落とし、腕を抜く。 シャワーの温もりの残る裸の胸が視界一面に露わになると、 秀夫が思わず軽く息を弾ませた。熱っぽい視線を外せなくなった恋人の瞳を捉えたまま、 勇次は自分の下着も素早く脱いでしまい、ローブと二人分のパンツをまとめて向かいのベッドに放り投げた。
「話はあと。おまたせしました」
 バカ、と嬉しそうに笑った秀夫が、下から両腕を回して強くしがみついてきた。


「……俺って、お前に頼ってばっかだな」
 何から切り出すのかは想像がつかなかったから、勇次はしばらくの沈黙ののちにポツリと出たその言葉に、 面食らった。絡み合っていた体をようやく解いて、今は充足した気怠い余韻に浸っているところだ。 秀夫は、去年のクリスマスに勇次から贈られた細いシルバーのネックレスを指に巻き付けて弄っている。
「なんで突然そんなこと考えたんだ?」
「突然じゃねぇよ。前からそう思うことがあったんだよ」
「頼ってばっかり、ってこともないだろ。今回はオレが勝手に付いて来たわけだし」
 たしかに今回ばかりはあんまりお節介を焼きすぎだろうか。 自分ひとりの中で収めておきたい部分までも見られてしまい、秀夫のプライドは傷ついてるのかもしれない。 年下ということでつい保護者的に見守ってしまう。さらには本音を言えば恋人を溺愛したい願望が強い勇次は、 甘やかさないつもりで相手の思考や表情の癖を読み、先回りして動いてしまう己を少々恥じた。
「お前が気を悪くしたなら謝るよ」
 そう言ってみたが、やけに殊勝な口ぶりに秀夫は意外そうな目を向けただけだった。
「なにも。そうじゃなくって、お前が俺に甘いのをいいことに都合よく利用してる気、するから」
 甘やかされているという自覚はあったらしい。それが無自覚の惚気にも聞こえて、勇次は妙に照れ臭かった。
「オレを利用する為に付き合ってたのか?」
 気恥ずかしさを誤魔化すようにわざとまぜっかえすと、仰向いていた秀夫がキッと横を向いて鋭く否定した。
「っ。そんなわけねぇだろ!俺が言いたいのは―――お前にはもっと、ちゃんと全部話すべきだと思ったんだよ」
「全部?ここまで来た理由が、他にもあるってことか?」
「…分からない。俺はただ。ホントの親のことが知りたかっただけ……だったのに」
 全部話すべきと言いながら分からないと口ごもる。矛盾した思いを抱えつつ核心を言いたがらないところに、 秀夫の戸惑いが滲んでいた。
 学生時代が終わる一つの区切りとして、ずっと気になっていた自分自身の始まりの場所を求めてここまで来た。 二度目の来訪は巡りあわせの幸運も手伝って、知りたかった事実の殆どを知ることが出来たのだ。
 しかしこの旅はそれだけでは終わらなかった。秀夫の内面に、知ること以外の何らかの喚起を生じさせた。 秀夫自身がすすんで近づこうとはしなかった部分に―――。むしろ今までその問題を直視するのを避けて来たからこそ、 他人によって意識を向けさせされた時、動揺せずにいられなかったのだろう。
「秀夫。あの家主さんから育て親の話が出たとき、黙って俯いてただろ。もしかしてそのことか?」
 黒目がちの大きな瞳の表面が揺れて、勇次の顔を見つめた。 一瞬眉根を寄せた生真面目なその表情が愛おしい。手を伸ばして頬を撫でた。
「捨てられてたって話はしてくれたけど、お前は今の両親の話は、そのあとも全然しなかったしな。 それで何か隠してる気がしたんだ…」
 勇次の言葉に、秀夫は視線を落として呟くように答えた。
「隠すつもりじゃなくて、うまく説明出来なかった。何でこんなふうになっちまったのか自分でも分かんなくて……」
 秀夫はそこから、勇次に父に出生の秘密を告げられた誕生日の日のことを話し始めた。 淡々としたその口調からは、当時受けたショックの烈しさは伝わって来ない。ただ、それからも変わらない生活を送りながら、 それが自分には家族それぞれが演技をしてるような居心地の悪さがあったことを、秀夫は打ち明けた。
「何でもないように振る舞えば振る舞うほど、この人たちにもムリさせてる気がした……。 だから、出来るだけ一緒に居ない方がいいと思った」
 それで一年生の正月の短い帰省以来、秀夫は一度も実家に帰ることなく卒業を目前にしているのだった。 しかし。天井の何もない空白に目を向けたままぼそぼそと話し終えた秀夫は、 ずっと自分の内にため込んでいた思いをようやく吐き出せたような、長いため息をついた。
「今日さ……。俺は捨てられてもひとりじゃなかったんだって、なんか初めて分かった気がしたんだ―――…」
「そうか…」
「そしたら」
「あぁ」
「そしたらうちの親にも、ホント申し訳なくって。あれからずっと何年も、どんだけ辛い思いさせてきたんだと思っ…てっ」
「……」
「親父も母さんも、ほ―――ほんとに優しいひとたちで。ここまで俺のこと……大事に、そ…育ててくれたのに……」
 感情が高ぶり声が割れかけるのを無理に抑えつけると、秀夫は上がる息をごくりと音を立てて呑み込み、 クルッと背中を向けてしまう。勇次はいつもの癖ですぐさまその背を追いかけたくなったが、すんでで踏みとどまった。 いま、やっとのことで時間をかけて自分の奥底に眠らせておいた後悔を引き出せたばかりだ。
(そっとしておこう)
 勇次はしなやかに浮き上がる背骨を丸めるように縮こまった体に、 足で隅に追いやっていた布団を引っぱりあげて掛けてやった。無言の代わりに秀夫が身じろぎして鼻をすする。 ベッドサイドの明かりを落とすと、胸のなかで(おやすみ)と言いながら勇次は目を閉じた。

 長い一日だった。やがて秀夫の寝息がやわらかな闇を伝わる頃、勇次もまた静かな眠りに落ちていた。





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