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 約3年前のある暑い日、秀夫は西日本のとある海辺の町にいた。
 夏休みを利用して、大学生になって初めて日本列島を南のほうにひとり旅をしようと考えた。 まずどこに行こうか。あてどない旅というのも魅力的だが、 ひとり旅初心者の自分には一つくらい目的があった方が決めやすい。 といって特にこれといった行きたい場所も思い浮かばない…。
 そう思った端から突然、秀夫の脳に天啓みたいに閃いたものがあった。 秀夫はその考えが自分のなかに出て来たことに驚き、すぐに打ち消そうとした。
 が、ダメだった。何度その考えを遠ざけようとしても、一度思ってしまったことは、 すでに『しようと思えば出来なくはない』ものとして、心のなかにしっかりと根を張ってしまったのだ。

自分の生まれた場所がどんなところなのか、見に行ってみたい。
いや。考えてみればそこで生まれたかどうかすら、何の確証もない。 自分を捨てたひと―――自分を生んだ女(ひと)が、知った人間たちに見つけられないように、 どこか別の場所に行って、こっそり赤ん坊を捨てたとも考えられる。
じゃあ、言い方を変えてみる。
自分が捨てられていた場所に、行ってみたい。

 父から衝撃の告白を受けたその後。 『すまなかった』と頭を下げられても、それが何に対する謝罪なのか分からないまま、 ぼんやりと父の後頭部を見下ろして、薄くなったなぁと関係ないことを思った。
 必ず帰るから夕方までひとりになりたいと不安そうな顔の父に言い、そこで別れた。 心配させないよう暗くなる前に帰宅すると、 両親は示し合わせていたらしく、いつもとまるで変わらない態度で秀夫を迎えた。 秀夫もまた、何も聞かなかったような顔で振る舞った。
 母も何も言わなかったが、その日の夕ご飯のおかずが秀夫の大好物のメンチカツだったこと、 嫌いな春菊のお浸しを残したのに、今日に限っては怒られなかったことなど、 ホントにどうでもいいことだけ覚えている。

(お父さんとお母さんが言わないことは訊いてはいけないんだ)
 子供の頃、深く考えもせずに自らに課した暗黙の取り決めが、思春期の秀夫の心を縛っている。
(親父も母さんも、あれ以上のことは何も言わないのだから、 なぜ、なんて訊いてはいけないんだ)
 秀夫の心は置き去りのまま、日常は一見して変わりなく平和に流れてゆく。 あの朝父と家を出たときと違っているのは、両親と自然に視線を合わせられなくなった自分。
 それに気づいたとき、ここに居ていいのかと、初めて自分の居場所を疑った。


 到着した広島空港から市内へ行き、電車でさらに南に移動する。 もちろん寒いのだが、体感温度として東京より風の当たりが柔らかくどことなく悠々と感じられるのは、 気のせいだけではなさそうだ。
 ある小さな市で電車を降りると、駅周辺のレンタカー会社に飛び込み車を借りた。秀夫は免許を持っていない。 カーナビに秀夫が読み上げる住所を勇次が入力する。広島県の後ろに郡が付き、その後ろに村名が来る住所だった。
「久しぶりだな、大丈夫かなあ」
 アイドリングしたままギアを掴んで感触を確かめている勇次を、助手席に収まった秀夫は不安そうに見た。 以前一度訪れたときには、うんと時間をかけて市営バスでその田舎の集落までは行ってみたのだが。 民家もまばらな田舎道の途中、住所に出て来た地名のバス停でポツンと降りた後、 とつぜんこれまでの勇気が萎えた。
 行ってどうするつもりだ?大学でひとり暮らしを始めてから内緒で戸籍をたどって、見たこともない住所を見つけただけ。 タクシーも見かけないしもし乗れたとしても、こんな集落で見慣れぬ学生がタクシーをつかってうろつけば、 怪しまれるに違いない。結局は市内へのバスが戻ってくるまで2時間近く、バス停で座り込んでいた。
 今回はあの時と違ってひとりじゃない。隣には勇次がいた。イケメンというだけでなく外面もいい勇次がいれば、 大抵の人間は警戒を緩ませてしまう。
 そしてもう一つ。戸籍の住所にはたどり着かなかったけれど、 じつは地元の図書館で手に入れておいた情報がある。持っているだけで3年近く放置しておいた。 それが最後の綱だということだけは確かだった。 その話を機内でしたら、勇次がレンタカーで行こうと言い出したのだ。
「なぁ。今さらかもだけど、やっぱりバスとかタクシー乗り継いで行く方が―――」
 言いかけたときには発進していた。端正な横顔がにやにや笑っている。秀夫を不安がらせて面白がっただけらしい。 無言のまま拳でドンと思い切り胸の辺りを叩いてやると、
「痛てっ!捕まりたくなかったらシートベルト!」
叱られて慌てて装着した。

 あの日、結局当初の目的を果たせないまま、最寄りの市に戻って一泊した翌日。 出直す代わりに秀夫が向かったのは市立図書館だった。
 父の話では、自分は生後間もないときに、電話ボックスのなかに置かれているところを、地元の人に発見されたという。 ならばきっと、小さな騒ぎにはなったはずだ。 全国のどこかで起きた赤ちゃん置き去りのニュースを、今までも時々見かけることがあった。 まさか自分がその当事者になるとは思いもよらなかったが、ふと思いついたのだ。
 レファレンスサービスを利用して一日がかりで黙々と調べ、古い新聞記事をついに見つけた。
《電話ボックスに赤ちゃん置き去り》。見出しにそうあった。
 自分が捨てられていた本当の場所が分かったのだ。




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