(2) “ 秀夫君、どっちにもあんまり似てないね ” 秀夫と両親が一緒にいるところに出くわした知り合いでも、 面と向かってそんなことを言う人はほとんど居なかった。 ただ、高校生の途中から急激に背が伸びて180pに近い長身になったやせ型の秀夫と、 揃って160p前後のどちらかと言えば小太りの両親とを控えめに見比べて、 今の子は食べるものがイイからなのねぇ、などと無理やりに結論づけられることは何度となくあった。 何のわけあってか、子供のときから両親は親戚つき合いをほぼしなかった。 秀夫は親戚に引き合わされたこともなければ、おじいちゃんおばあちゃんの話も親の口には上らなかった。 あるとき偶然に、家の電話口で話す母親が珍しく声を高くして、電話の向こう側にこう言っているのを聞いてしまった。 『私たちと秀夫は、3人で幸せに暮らしているんです!もう余計な口を挟まないでください!!』 母は泣いているようだった。電話の相手が誰なのかは判るはずもない。 しかしその時の緊迫した様子から子供心に、 お父さんとお母さんが言わないことは訊いてはいけないんだ、と何となく感じた秀夫は、 それ以来なにかを尋ねようとも思わなくなった。きっと親戚の人たちはイジワルな人ばかりなのだろうと想像して。 つき合いがあるのはせいぜい、近所の住民や保育園や学校での父兄くらいのものだ。 似てない、と言われた記憶があるのはそうした人々のなかの、ごく一握りの不躾な人か、 あとは秀夫の同級生の生意気な女子からであって、 それを言われたからと当時の秀夫が特に何を感じた覚えもない。 だが真実を隠してきた両親にとっては、その何気ない言葉に添えられた彼らの視線が、 自分たちの秘密をえぐる刃のように、千の針のように感じられたことだろう。 今ならば、秀夫にも分かる。 子供の出来ない夫婦が、身元の分からない捨て子を赤ん坊のときに引き取り、養子とした。 それを隠してひとり息子として育ててきた。噂にならないように、親戚たちの集まる元の地元を離れて別の市に移り住んだ。 すべては息子を守るため、秀夫が誰かの口から自分の出自を知らされて、 驚き傷つかないようにするために。 17の誕生日の日にそれを父に打ち明けられるまで、秀夫は何一つ知らずに育ったのだ。 だったらなぜ。どうして今になって、本当のことを教えようと思ったのか。 話があると寡黙な父に珍しく誘われ久々にふたりで犬の散歩に出かけた先、 幼いときからよく通ってきた町を見下ろす小さな神社の境内で、思ってもみない告白を受けた。 『お前は自分たちの本当の子どもではない。 誕生日は、実はお前が拾われた日を生年月日としたものだ』 と。 隠し通していても、これからどこかの大学を目指し、ゆくゆくは社会に出て行くことになる秀夫の未来を考えて、 いずれどこかで知ることになると思った。知ってから悩むよりも、自分たちの口からお前に伝えておきたかった、 またそれが、育て親としての務めであるとも思っている。 日頃穏やかだが無口な父が、声もなく立ちすくむ秀夫を見上げて、喉から押し出すように告げてゆく。 抑揚のない言葉が、もう何年も前のことなのに今でも耳の底に淡々と流れてゆく。 そこに冷たいものがあるわけじゃないのに。愛されていないと感じたわけでもないのに。 隠されていたという事実そのもの、自分だけが今まで何も知らずに平和に生きてきたのだという過去に、 秀夫は激しく打ちのめされたのだ。いままで信じてきた…というか疑いすらそもそも持たなかった自分にとっての日常。 それが虚構のスクリーンだと知らされるように、突然破けて音を立てて崩れていった。 何を信じたらいいのか分からなくなった。 ほとんど口も利かずに朝食を済ませると身支度をして、前日のうちに準備しておいた小さな旅行用の荷物を持って、 ふたりはアパートを出た。 赤ん坊の自分が捨てられていた場所にひとりで行ってくる、と秀夫はそれを決めた最初から、勇次にそう伝えていた。 自分の出自にまつわる事情については簡単に説明済みだ。勇次は初めてその話を聞かされたときにも、 いつもと変わらぬ表情と態度で、ふぅんとただ頷き、 『そうか。分かった』 と最後に短く答えて、秀夫の肩を軽く抱き寄せただけだった。 就職も決まり、レポート以外には卒業まで特に切羽詰まってすることもなくなった最後の大学生活の区切りとして、 秀夫は二十歳のとき、そう、勇次とまだ出会う少し前にひとりで一度訪ねたことのあるあの場所を再訪しようと考えた。 しかしその日が近づくにつれて、少しずつ日常生活での明るい精彩を欠いてゆく恋人を観察していたのか、 ある日勇次は自分も行くといい出した。秀夫が止めるまもなく勝手に同じ飛行機を手配し、 現地のホテル予約をツインルームに切り替えてしまったのだ。 『要らないって言ってるのに』 『知ってるよ。お前が要らなくても、ただオレがその場所を見てみたいだけ。それもダメ?』 『…別に』 付き添いなんて、そんな子供みたいなことされなくてもいい、と意地を張って最後まで文句を止めない秀夫も、 内心では勇次が同行すると決まった時点で、自分でも思ってみなかったほどにホッとしていた。 もちろん顔では不機嫌そうに眉をしかめてみせたけれど。 自分はどこかでやはり、勇次に精神的に依存しているんじゃないか。 甘やかすつもりはない、とダラダラしがちな秀夫を時に厳しく突き放してもくれる、頼れる年上の恋人。 そんな己の脆弱さを責めてはみても、今回の場合はやっぱりそばに居て欲しい。 結局のところ、それが本音だった。 秀夫の葛藤も知らぬげに、勇次は空港に向かうモノレールの中でも始終嬉しそうな様子だ。 「最後に泊りでどこか行ったの、いつだったか覚えてるか、秀夫?」 「……」 「鬼怒川温泉だったな。あ、そうか。あんときはまだ一緒に住んでなかったんだ」 横に座る茶色のコードヴァンの靴を、秀夫はスニーカーの先で軽く蹴とばし、小声で制止する。 「止めろよ!変に思われるだろ」 別に声高に話しているわけでもない勇次の声に、近くの乗客が耳を澄ませているように感じてしまう。 自分が神経過敏になり過ぎているせいだと思いながらも、 秀夫は今さらながら、ふたりでいることが世間の目にはどう映っているのだろうかと、ふと不安になった。 恋を育んでいったのは、水面下のやり取りだった。DVDをレンタルしに来る勇次と目を見交わし、 カードや料金、品物の受け渡しの折、さりげなく指を触れ合わせる。ふたりが逢うのは深夜すぎ、 秀夫のシフトが終わってから、当時勇次の住んでいた部屋を訪ねた。 そんな密会を重ねて行ったあとで、勇次の提案により秀夫はルームシェアの形で同居することを承諾したのだった。 だからふたりのデートの記憶というのは、考えてみればあまりない。 居酒屋や夕飯を食べに出たりは時々あるものの、恋人としてどこか遠出して観光するとか慰安旅行に行くとかする前に、 もう一緒に暮らし始めたのだから。誰も見ていない場所でふたりでのびのびと過ごすのが当たり前で、 他人の存在を強く意識もしていなかった。 むっつりと俯き加減の頬に薄く赤みの射した秀夫の横顔を、勇次は横目で見て口を噤む。 だがその整った白い貌には、あるかなしかのかすかな微笑みが浮かんでいる。 意識もせず触れ合っていたズボンの腿を、勇次はそっと離した。 まもなく終点国内線ターミナル、という車内アナウンスが無機質に到着を告げた。 分館topに戻る
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