予定不調和Xmas!









 12月24日、クリスマ・イブ。ついにこの日がやって来た。

 同性婚して三年目のクリスマスを迎える高校教師の村上秀夫は、居残りの先生たちに爽やかに挨拶して、早々と職員室を後にした。 いつも残業の常連組であるまだ若き数学教師と、そそくさと廊下ですれ違ったとき、
「おっ。さすが新婚さんだね。クリスマスのデートですか?」
来年定年を控えた現国の教師が秀夫に声をかけてきた。
(新婚・・・?三年経てばもうそんなこと言わねぇだろ、フツー)
 内心つっこみながらも、スマートで優し気な照れ笑いをそつなく浮かべつつ答える。
「あ、ええ、まぁ―――」
 若い人はいいねぇ、と月並みな言葉のあと「素敵な夜をお過ごしください」と義理堅く言われて、 はぁと生返事をしながら、秀夫の胸がドキンと思わず高鳴った。

 今夜しようとしている密かな冒険。たしかに「素敵な夜」を過ごす為の、周到な計画だ。
 ただしその相手は、同性婚の相方、山田勇次ではない。彼には今夜は同窓会があるから、 職場から直接向かうと朝の出かけに言い置いて来た。
『今年もクリスマスにわざわざかよ。お前らの同級生っていったいどーなってんの?そんなに寂しいのばっかなの?』
 当然といえば当然の疑問を去年と同じくまた呈されて、秀夫はかねて考えていた通りに言い返した。
『しょうがねぇだろ。幹事役の左門が、絶対この日じゃなきゃダメだっつってんだから』
 それは確かに事実でもある。長年付き合っている彼女が居ながら、 友情と結束を守ることに関しては高校時代と変わらず異様にこだわる元柔道部主将は、 若かりし頃に冗談のようにして決めた「独りもんだろうが彼氏彼女が居ようが、この日は友と祝う」という取り決めを、 社会人になってからも頑なに守り続けている。
 地方に散らばった者などにはどうしようもないが、秀夫のようにごく連絡の取れる都内に住んでいる同級生たちには、 しっかり出席の有無を問う号令が十一月のうちには掛けられるのが、例年の習わしだった。
 結婚した一年目は、勇次の母が住んでいる京都に有給休暇をとって二人で顔を出していたから、欠席した。 しかし去年からは、左門がもっとも親しかった秀夫の裏切りは赦さんとばかりに目を光らせているから、 出ないわけにはいかなかったのだ。

『とにかく、恒例行事になってっから。1日くらい遅れたって構わねえだろ。明日何かチキンでも買えばいいじゃん』
 付き合って二年、結婚して一緒に住みだして三年も経てば、いくら情熱を傾けてきた相手とはいえ、 かなり対応が雑になってしまっているのを、秀夫自身とて自認しないわけではなかった。
 嫌いになったとか、そんなことではないのだ。ただ、昔のように逢う日を待ちわびて、 逢えば別れの時間が来るのを早々と憂いていたあの熱意が、二人で一緒にいることがごく当たり前の日常になった途端、 少しずつ惰性的なやりとりの中に埋もれていったまでだ。
 そんな秀夫をテーブルに座ったままコーヒーカップごしに見上げた勇次は、 苦笑して『分かった』とだけ言ったのだ。そのまま自分の方が先に家を出て来たから、 勇次が何か言いたそうにしていたことは、見ないふりをした。



 去年の同窓会で、秀夫は高校時代学年一、いや校内一と言われたマドンナと再会した。
 彼女は家柄よく成績優秀、眉目秀麗でおまけに生徒会の副会長までつとめたという、 まさに絵に描いたような完全無欠の可憐な美少女であった。
 その彼女も二十代の最後の年を迎えた時にはすっかり大人の女性になっていて、 会場のおしゃれ居酒屋の入り口で背後から、
『あの・・・、もしかして、村上・・クン?』
と控えめに声を掛けられた秀夫は、 振り返るなり彼女に目が釘付けになってしまったのだった。
 勇次も秀夫も、元々女性のことも好きな性癖である。が、人生のパートナーとして考えたときに、 どうしてもお互いが必要不可欠な相手だと、あの時は二人で盛り上がり確認し合った上の、新制度の勢いに乗る形での婚姻だった。
 今でも、結婚したことを後悔はしていない、それだけははっきりと言える。 が、それとこの、マドンナとの再会によって芽生えた浮気心は俺の中では別次元のものだ。
 秀夫は無理やりそう言い聞かせると、自分の中の良心の声に蓋をした。

 日本総国民の一大イベントとして定着しているわりに、クリスマスに十数人の同級生が集結したのは、 何もボッチばかり揃っていたのではなく、主将左門の執拗かつ強引なアプローチによるところも大きい。
 しかしながら、三人しか出席しなかった女子のうちの1人であるマドンナが、 話してみれば実はいまだに独身だと知り、秀夫の動揺はますます大きくなった。
 なぜなら彼女は、同性婚を発表して友人たちにもそのように認知されている秀夫の隣に最初から席を決め、 どこか切なげな色っぽい風情で秀夫に秋波を送って来ていたのだから。
 酒が入ってますます宴もたけなわ、家族持ちは面白おかしく愚痴を言い、 それを独身や恋人持ちは笑ったり突っ込んだりして盛り上がる。気心の知れた仲間たちが好き勝手に入り乱れ大騒ぎになっている最中、
『村上クン、私・・・ホントはあなたのこと・・・』
と自分にしか聞こえない声で、マドンナから想いを告げられた。
 実は高校の時から、ずっと好きだったの、と。でもあなたは大抵、左門くんたちとつるんでて男子同士で愉しそうにしてたから、 なかなか近づくことも出来ずにいたのよ・・・。
 秀夫は薄まったチューハイのグラスの縁を唇にあてたまま、茫然とその告白を聞いていた。 なんてことだ。俺なんか、入学式のときに見た時からずっと憧れてきたってのに――――

時計はもう巻き戻せない。
しかし。
一度だけ、時を止めることが出来たなら。

 高校時代の優秀なわりに内気そうな様子が可憐だった。あの頃には決して自分からこんなことは言えなかったであろう彼女の口から、 恋の経験も挫折も積んで来たひとりの大人の女の台詞を聞いて、秀夫の心に魔が射した。
『あなたに彼…パートナーが居ることは分かっています。でも、一度だけでいい。私、あなたと―――』
 思い切って告白するためだけに同窓会に出席したとまで言った彼女。

 とはいえ、その夢を叶えるまでには秀夫の方にも相当な勇気と時間が必要だった。付き合いだして以来、 一度も隠し事をしたことなかった(する必要もなかった)勇次を、初めて裏切ることになる。 だが、マドンナが自分に対してそれだけの思い入れを抱いて同窓会にやって来たのならば、 逢ったその日のうちに簡単に寝たりというのは、きっと彼女としても望んではいないだろう。
 本当のところは判らないが、秀夫は勝手にそう彼女の心を推し量った。それで、皆に聴かれないように低い声で告げたのだ。
『・・・来年のこの日・・・。ま―――まだ君が、その気持ちを持っているのなら―――』
 秀夫としてはずっと憧れていたマドンナの現在の寂しさに、寄り添ってやりたいような気がしたのだ。 また、自分自身、日常生活がマンネリ化してきて、堂々とふたりで居られるのにどこか気持ちの停滞を感じていたことにも、 彼女との再会によりうっすらと気が付かされた。
 もしも一年後、彼女と一度だけの『冒険』をしたならば。少しだけこの気怠い気持ちが晴れるかもしれない。

(勇次。お前を裏切るつもりは全然ないんだからな)

 その呟きが、自分に対して向けられた言い訳に過ぎないと分かりつつ、 秀夫は今年の同窓会の日を落ち着かない気持ちで迎えたのだった。



 事前に入った左門からの連絡で、会場は急遽変更になっていた。 どうやら出席者が減ったらしく、こじんまりした店でも充分ということになったようだ。
「おう。お疲れ」
 先に来ていた左門のがっちりした背中に声を掛けると、振り向いた男の無骨そうな顔には珍しく柔らかい笑顔が浮かんでいた。
「?」
「今年は早いな秀夫」
 去年は勇次にも拗ねられて、無理やり出て来たこともあって時間ぎりぎりに仏頂面でやって来ただけに、 全員揃わないうちに登場したことが意外だという口調だった。
 今夜の己の下心を見透かされたようで、秀夫はぎくりとする。何食わぬ顔でマフラーに手を掛けつつ即座に返した。
「や。たまたま今夜は仕事が早く終わったからだよ」
 その言い訳が終わらぬうちに、左門は満面の笑顔のまま秀夫を手招きして、いつもどおりのムダに大きな声で言った。
「いいから来い。すごいめでたいことだぞ!」
「めでたい・・・って、何が?」
 時々みょうに古めかしい言い回しをする友の言葉をオウム返しに繰り返すが、左門はじれったそうに言った。
「だからな、マドンナが来月おめでたなんだよ!!」


(ぅえええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー)


 左門の広い背に完全に隠れていたが、個室の一番奥の席に座っていた彼女の白い顏が垣間見えた瞬間、秀夫は内心で絶叫していた。
「あ・・・・・。村上クン、メリークリスマス」
 去年の陰のある大人の女に見えたマドンナは、高校時代の時を彷彿とさせる、 あの恥かしそうな控えめな笑みを浮かべてこっちを見上げていた。
 ゆったりしたシルエットのモヘアのワンピースの腹部が丸ぁるく盛り上がっていることに、秀夫もほどなく気づく。 さらにその上に護るように置かれた白い左手の薬指に、パールとダイヤが配されたリングが嵌っているのにも。

「―――――――――、け・・・けっこん?―――したの・・・」

 呆然としたままで、やっとその言葉しか出てこなかった。黒目がちの瞳を真ん丸くして固まってしまった秀夫に向けて、 マドンナが小さく頷く。歌うような声で報告した。
「そうなの。あれから仕事で大学時代の同級生と再会して―――、六月に妊娠が分かったの」
 つまりできちゃった婚ね、と自分から言うと、別段悪びれた様子もなく満ち足りた表情でフフッと小さく笑った。

「―――・・・そう、――――――おめ―――、それはほんとに、おめでとう・・・」

 すぐ傍にいて二人のやりとりを我が幸せのようにニコニコと眺めている左門に、自分の動揺が判られやしないかと、 秀夫は焦る。が、マドンナの方は去年自分が口にした願いも、 秀夫の言った返答もすべてを忘れてしまったような晴れやかな笑顔のまま、母となる心の余裕すら感じさせる仕草で、
「ありがとう、村上クン」
と幸せそうに頷くのだった。



 そんなこんなで、今年の忘年会もにぎやかな笑いと共に散会した。
 去年は十時に会そのものは終わったのだが、左門につかまり『ここからは男同士の二次会だ!!』と屋台を引き回されて、 終電を逃しかけた。
 今年はさすがの左門も、長年の寛容な彼女の堪忍袋の緒が切れかけたようで、率先して早上がりを推奨した。 来年にはついに結婚するそうだ。そうなればもう、こんな傍迷惑な日にちの同窓会はなくなるだろう。
(そう思えば、今年のこれがしばらくは最後だったかもしれねぇな・・・)
 マドンナをタクシーに乗せて、みんなで万歳三唱して見送り、その場で良いお年を!と言い合いながらそれぞれに路上で別れた。


 ひとりマフラーの隙間から白い息を吐きながら、秀夫は予約していたホテルへと歩き出す。
 我ながら用意周到だと、いささか恥ずかしく思わないでもなかった。 しかし、間に合わせで彼女との一度きりの夢を叶えることだけはしたくなかったのだ。
 都内でもシックでそこそこの値のする人気の某ホテルは、勿論上階に素敵なバーもある。 秀夫はまずそこで彼女と再度ふたりきりで祝杯を挙げるつもりでいた。その後で部屋に入って・・・・・

(いるかな・・・?)

 ポケットを探って、スマホを取り出す。わずかなコールですぐに勇次が出た。

「どうした?」

 一言耳元で言われた途端、聞き慣れたはずの声がなぜだかキュンと胸に沁みるような懐かしさをもよおさせた。

「―――――うん・・・。いま家か?」
「ああ。映画観てた」
「あ、ごめん。邪魔した――」

 妙に気おくれしている秀夫の声に、電話の向こうの声が笑う。

「なに言ってんだよ。ところで何で今電話出来るの?同窓会は?」
「うん、それがもう終わったんだ・・・」
「えっ。もう?ずいぶん早かったな」

 ごく自然に会話している勇次の態度に、秀夫は自分が今日しようとしていた冒険が、 いかに無謀で身勝手で罪深い企みだったか、いまになって思い知る。
 ふいに鼻の奥がツンとした。疑うでもなく、不機嫌そうにするわけでもない。この勇次の穏やかで余裕のある清々しい性格が、 イケてる見た目以上に自分を惹きつけ、落ち着かせてくれるんじゃなかったか――――?
 出席はしたものの、もはや秀夫の出る幕などどこにもなかったマドンナの急展開ぶりには、 肩透かしを越えて心底脱力させられたのは確かだが。
 いま思えば、これで良かった、ほんとに良かった!と彼女のことよりも自分自身の為に心底思ってるゲンキンな秀夫だった。

「ん、そーなんだ。・・・それで勇次」
「ん?」
「その―――、ちょっと出てこないかって思って、電話した」
「あれ?今夜は左門のアパートに泊まるんじゃないのか?」

 今朝がた吐いた嘘を、そのまま信用しているらしい勇次の言葉に、しくしくと良心が痛んだ。

(ごめん。ごめんな勇次・・・!!!)

「えっと・・・それがな、急にあいつ、彼女が来ることになって―――」

 勇次が一度だけ会ったことのある、凛とした芯の強そうな美人の左門の彼女を思い出したのか、クスッと笑う。

「うん。それが自然だ。クリスマスだもんな、なんと言っても」

 少しの間、ふたりを繋ぐライン上に沈黙が降りる。勇次が秀夫の次の言葉を待っているのが、気配で伝わった。

「―――そうだな。・・・あのな、実は俺ホテル、予約してんだよ」
「え?いま何て―――――」

 ホントは聞き逃さなかったくせして、わざと訊き返してるのが、少し上滑りした弾んだ声で分かる。 だけどもう、今夜は日頃のいじわるなんかせず、秀夫はもう一度はっきりと繰り返した。

「ほ、て、る!お前をびっくりさせよーと思って・・・実は最初から計画してたの!」
「・・・・・」
「だから早く出て来いよ、勇次。もう飯は食ったんだろ?イイ雰囲気のバーが上にあるから、俺・・・先に行って待ってる」



 かくして同性婚三年目のふたりは、再び新婚の時の情熱を取り戻して、甘く熱いクリスマスの夜を過ごすのだった。

「・・・秀夫」
「・・・・・ん、もぅ眠いよ、勇次・・・」
「うん。愛してるよ。・・・来年もこうしてどこかで過ごしたい・」
「・・・う・・ん・・俺・・・も・・・・・・」





了 (色々とすみません)


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