「ねぇ…変だと思わない?」
「は」
「八丁堀よ。勇さん来てからやけに依怙地じゃないか」
「さぁな。あいつが金でしか動かねぇのは今に始まったことじゃねぇ」
 濡れ手ぬぐいを額に乗っけて寝たままの秀のすげない返事に、梯子の中段に尻を据えた加代が言い募る。
「でもさぁ。前はもっと気安いって言うか話が分かるっつうかぁ」
「おい。そんな下らねぇ話しか用がねぇなら帰ぇれ!俺ぁ熱あんだよ」
 熱は本当だったが、加代の口から三味線屋の話題が出るのを聞きたくない気持ちもあった。
 行きつけの居酒屋の女中に同情して見守ってやっていた事は、 無理強いの酒を吐いていた女をおぶってやるところを見ていた加代から、うんざりするほど聞かされた。 女は惚れた男と暮らしている。恋女房があんな色男に送られてあべこべに喧嘩になりはしねぇかと、 勇次の見た目の冷たさと相反する優しさに何故か苛立ちを覚えた秀なのだ。
 個人で看板を掲げる零細の職人たちを狙った手の込んだ詐欺に巻き込まれた夫は、腕の良い扇職人だという。 自分の簪もその手口で安く横流しされていた事実を突き止めたからこそ、 己の腕ひとつで暮らしを立てる職人を食い物にする奴らが許せない。
 加代に焚き付けられるまでもなく、自分のほうからこの件を裏の仕事にしようと八丁堀にも持ち掛けた。 が、あの昼行燈はたとえ死人が出ようと銭も出ねぇ仕事なんかするかと相手にならず、ギリギリまで腰をあげようとしなかった。
 その八丁堀の依怙地と勇次の存在がどう結びつくのかは、女の勘だと加代に主張されても分からない。 たしかに勇次が仲間に加わって以来、秀が何の気もなしに名を出しただけで、 もの言いたげな口元をひん曲げることには途中から気づいていた。自分には関係ないと見て見ぬふりをしていたが。
「何だかんだと、女房が師匠にぞっこんなのが気に喰わねぇんだろうよ」
 加代だってどのみち本人に問いただす気はないのだ。勇次びいきの加代は、八丁堀の態度の変化を意地悪く楽しんで見ているだけ。 どうでもいい雑談を切り上げたくて秀は適当にそう言ってみたが、ふと浮かんだぼやきがため息交じりに口をついた。
「ったくおめぇといい…。なんだって女は、ああいうかっこつけたキザ野郎が好きなんだろうな」
 丹精込めた自分の品を騙しとられた夫の為に、ついには吉原に身売りした女。 夫の才能を信じてひたむきに尽くした挙句、口封じのために夫婦共々虫けらのように消された。 なぜ肩入れすると八丁堀に問われた勇次の答えは、秀自身が感じていた思いに近かった。一生懸命生きてきた女だ、と。
 思わず実感のこもった秀の呟きに、加代は猫のような大きな目を見張った。
「そりゃあね、あの見た目じゃみんな…」
 フフッと笑いかけて、そこで首を横に振る。
「何だよ?」
「勇さんがモテるのはね、優しいからさ」
「―――」
 勝手に言ってろと背を向けながら、ますます八丁堀に勝ち目はねぇと内心で同情する秀だった。






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