何だってあいつはそうまであのやくざ者に肩入れするのか。秀だけでなく、それは八丁堀も加代も最初から感じていた疑問だ。
 端唄の師匠として何食わぬ顔で中村家に入り込んだのは、その狙いのためか。 常松と同じく留五郎の子分だった定吉と、常松の妹の婚礼の番犬役に借り出されてしまった八丁堀が、 何を考えているか分からない三味線屋への不信を散々ぶちまけて行った。
 秀もそれとなく勇次を言葉で煽ったり突いたりしてみたが、そんな誘導に引っかかるような甘い男であるはずもなく、 常松に入れ込む理由は訊き出せずじまいだった。
 やくざから足を洗う落とし前として肩から左腕一本斬りおとされながら、 妹たちに真っ当な人生を歩ませる為に己を犠牲にするとも厭わない常松は、確かに本物の侠気を持つ男だ。 だがその覚悟の苛烈さが、かえって留五郎の逆恨みを買うことになる。
 義弟の定吉は見せしめに殺され、妹のおしんは気がふれてしまった。 さらには、腕を斬られ行き倒れていた常松を助けてくれた恩人の未亡人おこうまでもが、下衆どもに手籠めにされたのだ。
 自分のために、罪もない人々が報復の餌食にされてゆく。 大切なひとを守りたいとあがくほどに、かつて身を置いた社会のしがらみに自由を奪われ、追い詰められてゆく。 抜き差しならぬ己の運命を悟った常松は、すべての夢を諦め残った片腕にドスをたずさえて、血で血を洗う世界に自ら戻って行った。
 人ひとり、正道に戻り生き直したいと願うだけで、どうしてこう悲劇の連鎖が起きるのだ。 一度でも道を踏み外した人間はずっとその因業に足を掬われ、力尽きて息絶えるまで生き地獄の底を這い廻らねばならないのか。
 見張り役として常松の動向に目を光らせている間、秀は何度となく憤りと見届けるやりきれなさを味わった。 二度と悪事は働くまいと心を入れ替えた男をあざ笑うかのように、 容赦なく襲い掛かる暴力の卑劣さが、ただ傍観する立場の秀にとっていつも以上に苦しいものだった。 所詮これまでして来た行いの報いだと自分に言い聞かせても、一方的に傷つけられるだけの常松の姿を見ているのは辛かった。
 悪鬼そのものの留五郎や用心棒の加倉井は、自分たち仕事人が手を下さなければあのままずっと、 逃げ場を失くした者たちの生き血を啜り骨をしゃぶってのうのうと生き続けただろう。 それを思い出すと、すべてが片付いた今でも暗澹たる想いに胸が塞がる。
 もっとも、勇次の再三の忠告も聞かず留五郎のもとに斬りこんだ常松も、 勇次が体を張って親身になってくれていた本当の理由(わけ)を知っていたら、どう思ったかは分からない。
 常松にとって、勇次は数少ない心を許せる友だったかもしれないが、勇次には父親を仕事にかけた贖罪という言えない秘密があった。 真っ当な世界で常松が本当の幸せを掴むことを願っていたのは、常松自身より勇次の方なのかもしれない。
 全ての罪を引き受けてぶざまに死んだ男の真実を、おこうに伝えに行くのだろう。 そんな勇次の後を何となくぶらぶらついて行きながら、秀もやるせない思いを胸に大川の風に吹かれていた。






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