張り台に乗せた胴の縁に、練った糊を塗りつける。
 皺を延ばす工程を経た革をその上に置き、紐で上下の木栓を調整しながら板で固定してゆく。 いつにもまして後味の悪い仕事の後には、しばらくのあいだ無心になって遅くまで三味線づくりに精を出す。 今夜もまだ戸締りはしていなかった。
 何かの気配に目だけをふと上げる。習慣的に息を殺し身構える前に、ガタンと音がして出し抜けに誰かが転がり込んできた。
「―――おい、そこで何やってんだ?秀」
 一呼吸の間を置いて何気ない声をかけた。どうやって話しかけたらいいのか、と今日も加代に相談されたところだ。 あれからずっと閉じこもって、細工の音だけ延々と響かせているらしい。 勇さんなら話せるんじゃない、ちょっと覗いてみてよとため息交じりに言われたが、 加代や八丁堀で無理ならば自分では尚更だろう。時薬が効くのを待つしかないと思い、返事すらしなかったのだ。
「あー、いたいた。まぁーたどっか遊び歩いてるもんらと・・・」
 突然自分から現れた秀は、呂律が回らない声でへらへらしながらその場にへたり込んでしまう。 勇次は立ち上がると、 開けっ放しの表戸を閉じるついでに戸締りをした後で、項垂れた酔っ払いの肩を軽く揺さぶった。
「いるだろここに。で、どうしたんだ?こんな遅くに」
「き…まってんらろぉ、みーぃず!水のみぃ寄ったんらってばぁ」
「分かった分かった。持ってきてやるからとりあえず立って―――」
 言った先からずるずると横に倒れかけ、慌てて半纏を掴んだ。一瞬迷ったが両脇に手を入れグイと引き起こすと、 まるで力の入ってない重い体がしなだれかかってくる。
酒臭い息とくせっ毛が頬を掠めた時、何も考えずに勇次はその背に両腕を回して受け止めていた。
「・・・・・・みず」
 どのくらいそうしていたのか。肩口に顔を伏せたまま、くぐもった声が催促する。
 ついでに小さく鼻を啜る音が聞こえたが気づかぬふりをして、 しかめ面でぎゅっと目を閉じている秀をそっと板間に転がしてやった。



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