誰しも心の奥に一つくらいは、ひとには言えない思いを抱いて生きているはずだ。
 どんなに明るく能天気に見える人間だってそれは同じで、 むしろ普段煩いくらい陽気な奴ほど、思い詰めればどんな風に変わるか知れたものではない。 傍から見ればそんな加代の激しい恋は、生きることに疲れた男女が最終的に選ぶ道―――心中と大差ないように秀には思えていた。
「その春吉ってのは自分を斬った相手を見たのか?」
 おりくが奥の間で怪我人と話している間、三味線屋の裏口に回って忍んできた秀の問いかけに勇次が小声で答える。
「多分な。おふくろが訊き出そうとするが、言いたくねぇようだ」
 口を割らないのは、もともと犯人の顔を知っていたからだろう。 だから自宅が燃えていると知って駆けつけた時、現場にいたその男に自分から近づき斬りつけられたのか。
「どういうことだ?犯人をかばってんのか?」
 勇次は曖昧に首をひねったが、母と瀕死の若者との会話を脇で聞いていて憶測したことを口にした。
「何かのわけあって、春吉はそいつを勝手に信頼してたみてぇだぜ」
 春吉が顔見知りの男に斬られながら、いまだに恨み以外の気持ちを捨てきれていないと言わんばかりの口ぶりだった。
「ま、あの刀傷を見りゃ、黙ってたって剣の使い手の仕業なのははっきりしてる」
 足元に目線を落としたまま勇次が意味深に付け足した一言に、秀はハタと思い当たった。やはりそうか。 勇次もおりくも犯人はあの男だと語らずの一致を見ている。 士官の条件として出された大切な役目を果たしてくるまで信じて待っていてくれ、と加代に告げた孤独な剣客。
「―――おい、加代は」
 春吉の両親を斬って家屋に火を放ったのが、未来を託した男の仕業と知った時、加代はどうなるのだ。
 勇次は答えない。答えようがないのは秀にも分かっている。だがあまりにも酷い運命のめぐり合わせに、 納得のゆく理由を誰か教えてくれと叫びたかった。
 とりとめもない虚しい渡世でようやく見つけた、似たもの同士の相手。 同じ寂しさを分かち合い寄り添うことで癒し合い、ささやかな未来を夢見るまでになった唯一無二の男。
 そんな男がふたりの幸せのために、誰かの幸せを犠牲にした。他人の人生を踏み台にして、作られた新たな人生の道だ。 加代はすべてを切り捨てる女になれるだろうか。 犯した罪に目を瞑り、そうまでしてくれたあんたと一緒にこれからどこまでも行こうと、 血に穢れた男の手を取るのだろうか。
 これまで隠れてふたりの密会を見届けてきた秀だけに、加代が本気で男に惚れぬき、 仕事人を足抜けしたがっていることは嫌でも伝わっていたが。
「きっと今より不幸になる、・・・って、八丁堀が加代に言ってた」
 長屋であの話をしたのは、加代の男が春吉の家を襲うよりも前だったというのに。 長年浸った裏稼業の勘であいつは嗅ぎ取っていたんだろうか。闇を隠し持った女には、やはり闇を抱いた男が近づくものだと。
 思いつめた秀の呟きに、勇次は同調せず冷たく言った。
「それは加代が選ぶことだろ。八丁堀はどうか知らねぇが、オレは加代を止める気はねぇ」
「!!本気でそう思ってんのか?そんな野郎を信じてよ、あいつの人生がかかってんだぞ!!」
 カッとして詰め寄り、半分開けた戸口の柱に寄りかかった男の胸倉を掴んだ。 憤る秀の見開かれた瞳を捉えたまま、少しの間をおいて勇次が低く問い返した。
「―――じゃあ、おめぇなら周りに止められて、そこで引き返せるか?二度とは無い恋かも知れねぇのに―――?」
 問われた言葉の意味が、徐々に重たさを伴って秀自身の胸に落ちてきた。 闇が闇を招いたとしても、そこでふたりが見た夢だけは真実だった。
 何も答えられずにいるうちに、勇次の手が胸元を掴む手に重なる。 もぎ放す間際、ほんの一瞬意図的に加わった握り込む指の強さに、秀は息を呑み顔を見た。
「後にも前にも動けねぇのは裏稼業と同じだ。不幸かどうかは―――、その恋に堕ちた奴が決めることさ」
 黒い瞳の動揺を、仄暗い眼差しが見据えている。


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 今回のお話は加代が主役というのも珍しいですが、しかもどうにも救いがない悲恋もの。
 いつも明るく商魂たくましく、エネルギッシュに生きてるように見えてた加代が、 ほんとは渡世に倦んでむなしい人生を儚んでいるという。寂しげでアンニュイなひとりの時の表情が、 ああ加代ってホントはいい女なんだよなぁと、納得の美しさでした。ホントはかよ。
 内容が重くて終わり方も大変つらい・・・。深イイ話ではありましたが。
 気になったことをあと付けで追加します。

 さて、自宅をよく分かんない理由で追い出された八丁堀が、 当然のように秀んちの居間でくつろぐ(しかも部屋着)シーンが前触れなく出て来たせいで、 加代の真顔連続の超シリアス話に100%集中し切れずに申し訳ない、加代。
 ところで仕事人が一般人(話の流れで罪もない一般人とはいえなくなったけど)と恋をするのは、掟破りなんですか? 私にはどうもそのあたりの線引きがよく分からなくって。だって秀も勇次もヒロインと恋してるし、 そういう時に別に仲間たちに止められたりもしてない。なんなら生暖かく見守ろうか、くらいのスタンスで。 結果的に犠牲者になって終わる恋ではありますが。
 八丁堀が、足抜けしようとした死んだ元仲間の話を持ち出してまで、あれほど男を諦めろと説得しようとしたのは、 「きっと今より不幸になる」未来が、経験上見えているという理由に尽きると思います。 掟うんぬんが理由ならば四の五の言わず、『掟破りは斬る』ただその脅しだけで良いはず。 そうだとすれば、他の仲間が一般人に惚れた時にも見守らず牽制にかからねば、よけいに理屈が合いません。
 別の考察として、男の場合は自業自得。何度恋に破れようと、男の世界は厳しいもんだから受け入れるしかしゃーない。 だが女は一度傷つけられたらなかなかは立ち直れるもんじゃない。世間の風は落ちぶれた女には厳しい。 だから出来るだけ悪い方に行かないように引き止めてやるとか、 あるいは守ってやるのが男としての筋、矜持であるという考えも浮かびました。
 この時代にして、フェミ男が揃いも揃った仕事人チーム、しかも女性解放の先駆者おりくさんもいますからね。 難しい掟やら理屈よりも、ここは感情として加代を『じゃあな』と送り出せなかった(見離せなかった)八丁堀、 という"オッサンいい奴説"が浮上してきたところで、 この終わらない仕事人トリビア(勝手に)に決着をつけたいと思います。無駄にしつこくてすみません。
 そもそも、妻帯者が家族に隠して裏稼業を続けることが可能であるのに、 独り身の仕事人がこれから一般人と結ばれるのはタブーなんて、そんな都合のいい掟があったら、 若手はみんな独り身ばっかりで過ごさねばならんじゃないか。我々ものの腐には好都合でしかない掟ですが(揉み手)。

 秀がひたすら無口でしたね。表情とか態度だけでも、 色々と考えたりもやもやしている内面が伺えるのがたまらなくいじらしい。 何も口にしないのは、基本は八丁堀の考えと近いということなんだろうな。 気に入らなければいきり立って反発するだろうし。
 加代が足抜けする意思を告げて秀の長屋を出ようとする際、一瞬前に立ちふさがるも、 こちら(画面)からは見えなかった加代の表情を見たら、 身を引いて黙って行かせてしまうあたり・・・。仲間思いゆえの葛藤する可憐さに射貫かれてしまいました(私が)。

 最後の仕事シーンでは、愛した男に自ら手を下す加代を仲間全員が見届ける。
 仕事人として生きる覚悟を決めた加代の決意表明ともいえる落とし前のつけ方に、 ひとりひとり見せる反応がこれまた相応しい。
 秀のため息(まるで自分が刺したかのような息の詰め方)。 対して勇次は、母の背後からそれを見届けた直後、深く頷きすぐさま背を返して立ち去ってゆく。 その後の姿など見られたくねぇだろう、見る必要もねぇ、と。 たったこれだけのシーンで女心を知り尽くしたクールガイの優しさが伝わったよ勇さん!!(悶絶)
 しかし何と言ってもメインは年長組のふたりですね。 茫然とへたり込む加代に、「やったのはおれだぜ」と言い聞かせる八丁堀、加代をその場から連れてゆくおりく。
 名言・名場面の連続でしたが、それぞれの表情や行動が示す語らずの心にも惹きつけられました。



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